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教待という僧

教待という僧  古今著聞集 など
 教待とは、神通延壽仙僧であり、名前や出身はわかっていません。
 彼は三井に住んでいました。事慈尊者と呼ばれ、100年以上を過ごしたといいます。

 教待は常に龜鼈を食べていましたが、その骨を流れに投げると、骨は再び生き返り、郡龜となり、鳴橋の下で鳴きました。
(またその遺骸が蓮の花に変わったという話も残る)

 清和天皇の時代、貞観元年の春、智證大師は新羅山王二神と共に法を伝える場所を探していました。
 彼は北嶺から三井まで歩いていきました。その時、一人の老僧が現れ、教えを待っていました。
 老僧は大師を以前から知っているようでした。 
 老僧は三井寺のことを話、教待と名乗り、「弥勒菩薩の應化(おうけ)です」と言いました。
 その後、霊地である三井を託す人が現れたと、教待は姿を石窟の中に消しといいます。

 今では教待は教待堂に祀られており、その祭礼は11月11日教待会として知られています。

 

 


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