別居していた父の死について
※ 2018年のことです。下書きにあったので。
父が亡くなったのは先週の火曜日の事だ。まだ一週間もたっていない。でも、その間にすることはたくさんあってまだ続いている。あとになれば、忘れていってしまいそうだから、まとめておく。
これまでの事
父と住む場所を別にして、四半世紀は過ぎている。大学進学で一人暮らしをして、実家に戻ってくると、霊波の光という宗教にはまってから家を出て別居していた。
当然、父の生活はほとんどしらない。ただ、知っているのはお金に困っているということなので、最初は入院してお金が足りないから貸してくれ。母の住む家(父所有)の権利を譲るからと、いろいろな事をいい、お金を強請っていった。
それから何年もたち、もはや返さないのもわかってはいたので、月々の家賃は自分が6万ほど負担していた。それも最初は保証人という形だったが、いつの間にか自分が契約者にされていた。
それだけでは足りないようで、たびたびお金を貸してくれないかという連絡があり、無理だと断り続けていた。手取りが300万に達しないので本当に無理だったのだが、公務員で景気のいい時代の人なので信じてくれていたかは疑わしい。
どうしてそう思うかといえば、昼間は五分に一回は電話があり、深夜や、早朝などもあり、しんどかった。それが嫌で着信拒否するとこんどはメールで様々な言葉がつづられ、心を傷つけられるような言葉が続いたので着着信拒否をしていた。
また、何か探し物があるようで誰もいない時を見計らって家に入ってくることもあったようだった。(自分や家族が具合が悪く寝ていると入ってきて鉢合わせることなどあった。)
ざっと計算すると、就職してから一千万ほど渡している。そして自分の収入の三分の一が奪われる生活ももう嫌になっていた。
先々週のこと
今まで違う場所で何年も暮らしており、戸籍も抜いていたのだが、急に戻し、書類が届くようになる。ある日、そんな手紙をとりにきて、母ともめて喧嘩になる。その時にいろいろと言っていたが、今まで金を返すといわれて、返されたこともなかったので、母の側に立って対応した。この時ニュートラルにふるまうべきだったのだ。
翌日、体調が悪く、救急車で病院に運ばれていた。いつも、病院代を肩代わりしては、返してくれたこともなかったので、親類から様子を見に行ってくれといわれても、いつものことだと思い無視した。
命日のこと
火曜日の朝、病院から電話がかかる。受けた母が知らない番号からだと無視しており、親類の方から危篤だという電話だとわかり向かう。
病院につくともう亡くなっていた。