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信長の霊

信長の霊 日向の伝説
 織田神社という神社がかつて宮崎にあり、織田信長を祀っていたという。

 江戸試合のこと、織田重美と弟杢之丞と共に何かの罪によって日向に流されてきた。ふたりは信長の子孫であったという。
 ある時、当地延岡の藩主有馬氏が、誤って重美の下駄を誤ってはいたところ抜けなくなり、離れなくなることがあった。重美が許すというと下駄は脱げた。
 家老は殿様に対して「許す」とは失礼だと怒り、きょうだいを城内から追放し、深角という村に送ってしまった。
 
 数日後、村に城から何日に彼等を殺せとの状が届いた。しかし、期日がくる前に「赦免」の状が着いた。
 ところが代官は期日より前に兄弟を殺してしまったあとだった。
 その殺し方も残忍で火事だと騙して驚いて外の様子を見たところを、その首を木で挟んで絞殺するというものであった。

 それから付近には火災が多くなった。「火事」といえば「深角だろう」という程であった。
 人々は織田様の祟りだと考え、小石に大般若経を書いて埋めた。
 
 社を建てて織田大明神として崇め祀った。
 もともとは織田重美の御霊という話だったのだろうが、信長のものといわれることもあった。

 神体の鏡は周りは一尺位で、中央に一寸位のお姿があり、これは閻浮檀金で作られているという。
 

 現在は深角神社に合祀されている。




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