兎児爺
それでは兎児爺の伝説を語ろう。
ある年、北京では疫病が流行った。ほとんどの家に病にかかった人がいるような様子で、薬を飲んでも治ることは無かった。
月の世界の嫦娥は、救いを求める焼香を見て、非常に悲しい気持ちになりました。そこで人々のためにこの災難を排除し、病気を治療するために、玉兎に命じました。
玉兎は白衣を着た女の子になって北京の街にやってきました。
彼女は家から家へと渡り歩き、紅白の小さな饅頭を配り(月のうさぎは薬のエキスパートなのです)、多くの患者を治しました。
玉兎に感謝して、人々は彼女に贈り物をしました。
しかし、玉兎は何も欲しがらず、他人から服を借りて着るだけでした。
これには理由があったのです。
それは最初に玉兎がいった家でのことです。
玉兎の白衣は、葬儀の時に着る印象があり、病に倒れている家族のいる家は縁起が悪いと、入れてももらうどころか、話を聞いてもらえず、饅頭も受けとってもらえなかったのです。
そこで玉兎はどこかで普通の服を手に入れて、最初の治療を終えたのです。
それから玉兎は家から家へ、行くたびに着替えしをしました。
ある時は油売りのように見え、野菜売りに思える時もあります。そう思えば占い師のようにも見えて、京劇の役者のときもありました。ある時は男性の衣装で、ある時は女性の衣装です。
そうしてがんばっていたのですが、病にかかった人が多く、玉兎の二本に足では間に合いません。そこで、鹿や、鳳凰、鶴、または獅子や虎に乗って北京中を旅しました。
そうして病を癒したのです。
人々は感謝しました。
そんな称賛と感謝の声に、玉兎はうれしくなり、長い二つの耳を見せてしまいました。
そこで人々は初めて、月の上に見えていたウサギの姿がなく、この少女こそが月のウサギであることに気づいたのです。
玉兎は月に帰りましたが、毎年八月十五日(旧暦)になると、人々は青果や豆を供えて世の中へ吉祥と幸福を持ってきてくれたことに感謝することになった。
そうして親しみを込めて、彼女を「兔児爺」、「兔奶奶」と呼んだのです。
明・清時代北京における娯楽について
兎児爺は古くから月の神様とイメージされ、中秋節(旧暦8月15日)に祭られるものであったが、清代から初めて子どもの玩具となって一番人気だったという。