
文系男子vs理系男子ーーどっちが良かったのか
文系男子と理系男子――違うからこそ良い関係が築ける
夫とは趣味や嗜好が全く違う。どんな本を読んでも、夫は「へー」と言うだけで、本について語り合うことはない。でも、それで良いのだと思う。違うからこそ、一緒に暮らせるのだろう。
夫は典型的な理系男子だ。曖昧さを嫌い、「Aは常にAであり、物事は明快にするべき」という信念を持っている。私が「かもね」と曖昧なことを言うと、「かもね星人」と言われる。彼のこの論理的な一言に、思わず笑ってしまう。
一方、私は典型的な文系女子だ。曖昧さが好きで、「微妙」という言葉もよく使う。彼に「どっち?」と聞かれても、「こっちかも」と煮え切らない返事をする。「AはBかもしれないし、Cの可能性も残しておきつつ、いきなりZかもしれない」と、どんどん選択肢を増やしてしまう。そんな私に、夫は「その曖昧さに耐えられない」と困った顔をする。でも、この違いが面白いのだと思う。
文系男子との別れ
これまでの経験を振り返ると、なぜか文系男子とは長続きしなかった。彼らは感受性が豊かで会話も楽しいけれど、「気が多い」印象が強かった。文系男子と付き合っていると、言葉の端々や仕草に「他の女性の影」を感じることがあったのだ。「あの人もいいし、この人もいい」というような、目移りする雰囲気がどこかに漂っていた。
約束の日にドタキャンされることも多く、次第に「この関係に未来はあるのだろうか?」と不安を感じるようになった。文系男子との日々は楽しいけれど、どこか「無常感」が漂い、長く続けるのは難しかったのだと思う。
モテる文系男子、選ばれる理系男子
文系男子は確かにモテる。感受性が豊かで話題が豊富、さりげない気遣いもできるので、女性が放っておかないのも納得だ。さらに、ロマンチストで刺激的な恋愛を好む彼らは、常に新しい出会いや経験を求めている。そのため、「一人の人に深く向き合う」というより、多くの交流を楽しむ傾向があるのだろう。
一方で理系男子は、モテるというより「選ばれる」存在だ。彼らは一つのことに集中する傾向があり、恋愛でも「この人だ」と決めたら真剣に向き合うタイプが多い。そして、その誠実さや安定感が、結婚という長い旅路において強い武器となるのだ。
理系男子との結婚生活
夫と付き合い始めたとき、まず感じたのは「理系男子って楽だな」というシンプルな感想だった。彼の考え方は単純明快で、「Aは常にA」。曖昧さがなく、彼との関係はまるで雲一つない青空の下を歩いているような安定感があった。
文系男子と付き合っていたときは、言葉や行動に振り回されることが多かったが、夫にはそれがない。女心に鈍感なところも、文系男子に振り回されて疲れていた私にとっては「素敵」に思えたのだ。未来に対しても不安がなく、駆け引きのない純粋な関係が心地よかった。
違いがあるからこそ良い関係
私と夫は、お互いに全く違うタイプだからこそ、一緒にいて楽しいのだと思う。そして、その違いに毎回新たな発見があり、それが長い結婚生活を支えてくれている。
文系女子である私は、理系男子の安定感や誠実さに助けられながら、30年間一緒に歩んできた。ちょっと人生に疲れた文系女子には、太陽のような理系男子がぴったりだと思う。そんな話でした。
最後は、どっち?
「文系男子と理系男子、あなたならどちらを選びますか?」
私の場合、モテる文系男子との恋愛も楽しかったけれど、結婚生活には理系男子の安定感が欠かせませんでした。どちらも魅力的なタイプですが、自分に合う人を見つけることが大切なんだと思います。
結び
長い人生を共にすると、お互いに影響を与え合い、「文系に近い理系男子」と「理系に近い文系女子」へと変わっていくのかもしれません。
例えば、夫は毎日苦手だった英語の勉強を続けるようになりました。一方で、私は毎朝チャットGPTと会話し、アップル製品をこよなく愛す「理系に近い文系女子」になりつつあります。お互いの特徴が少しずつ交わり、新しい自分を発見していく日々。これが、長い結婚生活の面白さなのだと思います。
違うからこそ惹かれ合い、一緒に暮らす中で少しずつ似てくる。それでも、根本的な違いはそのままで、それがまた新鮮な発見を生む――そんな関係が心地よいのだと感じています。