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娘たちを守るために。「そんな会社辞めちゃいな!」と叫ぶ理由ーフジテレビ問題に見る社会の歪み
娘たちと過ごしたヴィーナスフォートの記憶
2000年の初めごろ、子どもたちを連れてよく訪れていたヴィーナスフォートは、とても楽しい場所であった。夫の会社の都合で上京したばかりの私にとって、フジテレビをはじめとするお台場は、まるで夢のような場所であった。
街には、同じような家族連れや初々しいカップルが手をつないで歩いている姿が見られ、それを眺めるたびに幸せな気持ちになったものである。
ヴィーナスフォートの天井に広がる青空や夕焼けのような照明は、まるでヨーロッパの古い街並みに迷い込んだかのような錯覚を覚えさせた。
中世を思わせるゴージャスな柱や、天使の彫刻が飾られた噴水広場では、立ち止まって写真を撮る人々の姿が絶えなかった。あの頃、館内を歩くだけで「特別な場所に来たんだ」という高揚感があった。上京したての自分が「都会人」になったようで、誇らしい気分になった。
小さな子どもを連れて訪れたとき、噴水広場での光と水の演出に目を輝かせていた娘たちの姿が忘れられない。
ショッピングの途中で立ち寄った広場では、子ども向けのパフォーマンスイベントが開かれていて、キャラクターたちが踊る姿に子どもたちは大喜びだった。
噴水の音に合わせて天井の空模様が変わるのを見て、「ママ、本当にお外みたいだね!」と興奮していた娘の声が耳に残っている。そして、小さな子どもたちをそうした場所に連れて行けることが、私自身の喜びであり、誇りでもあった。
フジテレビの事件が映し出す、お台場の荒涼とした現実
ヴィーナスフォートは2022年の3月に営業を終了した。終了直前、大人になった娘と再び訪れたが、どうしても昔の華やかな時と比べてしまう。
店内は閑散としており、流行りの店がいくつかあるものの、活気は感じられなかった。その姿は、今のフジテレビと重なるようにも思えた。
「中居正広さんのフジテレビでの事件」を見ていると、荒涼としたお台場の未来を想像してしまい、どこか寂しい気持ちになる。
本人も「トラブルは事実としてあり、すでに示談が成立した」と語っているようだが、ネット上では火の粉があちこちに飛び散っている様子が見て取れる。
大半は週刊誌の記事が中心となり、この件を暴き立てているが、一部では「スキャンダルな事件」として消費されている印象を受ける。周囲は、早く火の粉を消し、通常業務に戻りたがっているように見えて、どこか他人顔なのだ。
だからこそ、この問題については、どこか事実よりも関係者からの扇情的な情報ばかりが一人歩きしているように感じたし、一人のおばさんとして、正直なところ「どうでもいい」と思ってしまっていたのも事実だ。
しかし、ふと、かつてキラキラと輝くヴィーナスフォートで楽しそうに笑っていた娘たちの姿を思い出したとき、考えが変わった。
もし彼女たちが被害者の女性と同じような立場に置かれることがあれば、私は「タダでは済まさない」と強く思うようになったのが、この記事を書き出した理由だ。
「縦社会」と「男女差別」が事件の背景にある理由
このような事件が起こった背景としては、「上下関係と権力構造の悪用」「企業ガバナンスの欠如」「被害者が声を上げづらい社会的風潮」「メディア業界の体質問題」「社会全体のジェンダー観」が挙げられる。
それぞれが複雑に絡み合っており、どこから切り込むべきか迷ってしまう。しかし、私の主観では、「縦社会」と「男女差別」がこの問題のキーポイントであるように思える。
中居さん自身も、ジャニーズという非常に厳しい縦社会の象徴とも言える組織から叩き上げてきた人物だ。幼少期から、上下関係が絶対的であり、先輩・後輩の序列が厳格に守られる文化の中で、彼は勝ち残ってきたに違いない。
その道のりは、凄まじいまでのプレッシャーの中で築かれたものだったのだろう。その点で、これまでのテレビでの功績は確かに認めざるを得ない。
しかし、だからこそ人格形成期にそのような環境で過ごしたことで、「狂わされる」部分があったのではないかと感じる。
これは、中居さん個人を批判するだけでは、この問題の本質に辿り着けない。むしろ、彼が育った環境や、それを許容していた社会全体の歪みを直視しなければならない。同じような事件は、この構造が変わらない限り、繰り返し起こるだろう。
そのためには、真剣に「縦社会」を緩和し、男女平等を本気で目指す社会的な取り組みが求められる。
本来であれば、このような問題が起こった際には、マスコミやメディアが自浄作用を働かせ、私たちに「どのようにしたらこのような問題が再び起こらないのか」を検証し、提言を行うべきである。
しかしながら、現実にはマスコミも新聞社もこの問題に深く切り込んでいない。なぜならば、彼ら自身も「縦社会」という構造に深く根ざした組織だからだ。「同じ穴のムジナ」に何ができるというのだろうか。
問題の一因でもある「縦社会」を、彼らが厳しく批判することは、自分たちの首を絞めるようなものだ。そのため、このテーマは暗黙のうちに避けられているに違いない。また、スポンサーや取材対象への忖度も問題を複雑にしている。
芸能事務所や大手企業との関係を考えれば、過激な報道ができないのは容易に想像がつく。結果として、マスコミの報道は浅い内容に終始してしまうのである。
時間が経つにつれ、メディアは本質的な問題に向き合うことを避け、視聴者や読者の関心を引く「センセーショナルな話題」に焦点を移し、問題そのものから逃げ去ろうとしているようにしか見えない。
娘を守るために:母親としてできること
それでは、どのようにしたら私たちの娘を守ってあげることができるのか。
その答えは、「そんな会社に行かせないこと」だと思う。
シンプルに言えば、それだけである。
もっと、あなたに合う会社は他にある。
今はもう令和だ。昭和の遺跡のような会社で、自分を痛めつける必要なんてない。
もし私の娘がそんな会社にいたら、こう言いたい。
「会社を辞めたら食べていけない?」
いやいや、できるって。本当に生活に必要な額なんてたかが知れている。生活費を抑えて暮らす方法なんて、ネットを探せばいくらでも見つかる。
家賃は?
「帰っておいで。あなた一人くらい、私が食べさせるのなんて簡単だよ。だから、考え込まなくていいんだよ」
それに、時代は少子高齢化だ。周りを見てごらん。おじいちゃんとおばあちゃんばかりだろう? あなたたちのように若い人たちはどんどん減っている。
だからこそ、若い人には希少価値があるんだよ。30年前の若者たちと比べたら、再就職なんてちょろい。企業は両手を広げてあなたを待っているから。
安心して働ける場所を選ぼう。
自分の幸せを最優先に考えていこう。
だから、辞めちゃいな。
私が全力で守ってあげるから。
30年で何が変わった?日本社会の課題を問い直す
およそ30年前、「大会社に行くことが良い」「いい大学を出ていい会社に入ることが幸せ」という価値観が当たり前だった。
しかし、その30年で日本はどう変わっただろうか。
縦社会は無くなったのか?
男女差別は解消されたのか?
日本の経済は良くなり、私たちは豊かになったのか?
どれ一つとして良くなっていないのではないだろうか。
私たち母親世代の意識が変わることで、「大企業至上主義」というこれまでの価値観を変える必要があると思う。
日本社会では、特に親世代が「大企業に就職すれば安心」と信じ、それを子どもたちに勧めてきた背景がある。
その価値観こそが、大企業の権力構造や不透明な体質を温存させる一因だったのではないか。そして、私たち母親世代が、そんな大企業を無意識に支えてきた可能性もある。
「辞めないで耐える」からこそ、彼ら(大企業)は調子に乗るのだ。
働く環境の良さやハラスメント防止の仕組みが整っているかを基準にする価値観が広がれば、社会は変化するだろう。
なぜなら、人材が集まらなくなることで、大企業も透明性や働きやすさを本気で改善しないと競争力を失うからだ。
誰かの目に触れるために書く:母親としての願い
30年ほど前、私の二人の友人も同じような性被害に遭った。
一人は、そのせいで夢を諦めざるを得なくなり、ふとした瞬間に思い出して辛い日々を過ごしていた。そしてもう一人は、精神的に参ってしまい、数年間、自分を取り戻すために通院していた。
当時、私は彼女たちの相談相手だったが、ただ話を聞いてあげることしかできなかった。訴えるにしても、どのようにすれば良いのか分からず、これ以上傷つけたくない気持ちもあり、結局、泣き寝入りになってしまった。
彼女たちにもっと「逃げろ!」「離れろ!」と強く言ってあげれば良かったと、今でも思う。
だからこそ今は、市井の人間としてできることは限られているが、こうした個人の発信を通じて誰かの目に触れることで、「自分ごと」と考えるきっかけを作りたいと思い、筆を取った。
これ以上、同じような被害を繰り返さないために。
ヴィーナスフォートの美しい噴水を前に、輝くような笑顔の彼女達がいつまでも幸せに生きていけることを祈りながら。