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私のアンディ・ウォーホルーー時空を超えて夢を掴め!
アンディ・ウォーホルとの出会い
美術部の部室で手に取った雑誌、そのページに載っていたアンディ・ウォーホルの作品を初めて見た時の衝撃を、今でも鮮明に覚えている。
荒い現像の写真に、ポップな色彩で彩られたマリリン・モンローの肖像。「え、これでいいの?」「これがアートなの?」
それまで私にとって美術とは、デッサンを通じて正確に対象を描写すること、油絵の具を何層にも重ね、試行錯誤を繰り返しながら、ようやく完成するものだった。しかし、ウォーホルの作品は、写真にシルクスクリーンを施し、機械的なプロセスで量産される。「はい、出来上がり」といわんばかりの手法に、私は度肝を抜かれた。
それなのに、いや、それだからこそ、その作品は油絵で何時間もかけて描かれた絵画よりも、何倍も魅力的に思えたのだ。
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アンディ・ウォーホルにインスパイアされて、2025年にプロクリエイトでオリジナル作品を描いてみました。描いてるだけでワクワクが止まらない✨
部屋に飾った「マリリン・モンロー」
美術部の顧問の先生に頼み込んで手に入れた雑誌のウォーホルの「マリリン・モンロー」。私はそれを丁寧に切り抜き、部屋に飾った。
「マリリン・モンロー」が飾られた私の部屋は、まるでポップで明るいギャラリーのようだった。窓の外には山々が連なる田舎の小さな街が広がっている。そんな環境の中で、私の部屋だけがまるで私設美術館のように感じられた。
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デッサンへの違和感
デッサンは退屈でたまらなかった。
私の描いたデッサン画は、いつもどこかおかしかった。先輩や顧問の先生からは、いつも修正するように言われ続けた。
私以外の部員たちは、美術の成績が良く、デッサンも素晴らしく上手かった。彼らは丁寧な描写で被写体を正確に描いた。
それに比べて、自分の作品の拙さに嫌気がさした。そんな経験の積み重ねが、次第に絵を描くこと自体の楽しさを奪っていった。
ウォーホルがくれた自由
そんな私にとって、アンディ・ウォーホルはアートの常識を軽快に打ち壊してくれる存在だった。
何かを表現することは、もっと自由で、想像の斜め上を軽々と超えていくものなのだと彼の作品が教えてくれた。
ウォーホルは、「絵が上手い・下手」といった技術的な部分を超えて、誰もが持つ創造力や感覚そのものを引き出してくれる力を与えてくれたように思えた。
部屋に飾った「マリリン・モンロー」は、私にこう語りかけているようだった。
「デッサン?そんなのクソ食らえ!もっと自由に、ワクワクしよう。それがアートだよ。」
そう言っているような気がした。
38年前の私
今日は2月22日。
38年前のこの日、アンディ・ウォーホルはこの世を去った。そして、同じ日、私は希望していた大学の不合格通知を受け取った。茫然自失していた最中、テレビからウォーホルの訃報が流れた。
その瞬間、すべてが終わった気がした——そんな気持ちだった。私の願いは届かないのだと涙が止まらなかった。
当時、コンピューターで絵を描くことは「コンピューターグラフィック(CG)」と呼ばれていた。アンディ・ウォーホルのようなポップなアートを目指すために、CGを学びたいと夢見たが、そのための学校は私の街にはなかった。
「やりたいことは、決して叶わないものだとーー。」
そう思っていた。夢は、どれだけ手を伸ばしても絶対に届かない場所にあるものだと。
高校卒業後、なんとか入れる短期大学に進学した。CGを学べる学校ではなく、ただ通える学校。合格の知らせを聞いても、心はまったく喜びを感じなかった。けれど、両親は家から通えることに安堵していた。
2025年、38年前の私へ
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今の私は、38年ぶりに絵を描いている。
AIの画像生成技術は、当時のCGをはるかに超えている。テクノロジーの進化は凄まじく、「美術はデッサンが大事。被写体を正確に描くことが正義」なんて、今では笑ってしまうほどだ。
絵を描けない人でも、絵を描く楽しさを味わえる時代になった。
アンディ・ウォーホルが生きていたら、こう言うかもしれない。
「アートは、一部の人のものじゃない。もっとワクワクして、自由に楽しめばいい。」
そんな声が聞こえた気がした。
38年前の私へ——。
今の私は、アートを楽しんでいるよ。
文章を書いたり、アクセサリーを作ったり、創造の世界を自由に楽しんでいる。
だから、夢をあきらめないで。
夢は、すぐに叶わなくていい。
むしろ、長く持ち続けることこそ意味がある。
時代は変わる。可能性はいつだって広がっていく。
(おしまい)
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