臆病という、あまりにも役に立たない感情

 双極性障害というほどではないけれど、調子のよい状態と悪い状態の波が激しい。最初は自分でもなにがなんだかわからなくて、それから、今度はこれは自分の体質なんだと思うようになった。それからまた認識がかわって、今度は、何か今の状態にひどい不満・鬱屈感を抱え込んでいるからではないかとふと思うようになってきた。二十代半ばなのに、ろくに自立できず、母子家庭の母親に養ってもらっている。親が金持ちの人間は、三十くらいまで親に寄生していても問題ないかもしれないけれど、自分の場合はそんな金銭的余裕がない。引きこもりのうちでも格差が広がっているのだと聞いた。自分は元引きこもりだけど、実家がある程度裕福な精神疾患者や精神障害者というものが大嫌いだ。車も親に買ってもらえたりして、どうしてあの人たちはあんな機会に恵まれて、俺はそうではないんだと思う。俺があの立場だったら、もっとずっと上にいけたのに、と思うのは、自分に対して希望的観測を持ちすぎか。

 もしかしたら、一人暮らしを始めたら、大変でも、少なくとも、この鬱症状は緩和されるのかもしれない。母親は自分の無能の象徴になっている。毎日毎日、自分が無能であるということを一日数時間は突き付けられる。一人暮らしを始めたら。でも自分がそうしている姿をそうぞうできない。自分にとっては、一人暮らしするなんて、常人でいえば外国に住むみたいな、夢のような話だ。できないのは、臆病だからだ。この臆病というもので、俺の人生の95%は台無しにされた。臆病な人間は、多分一番救われる見込みのない人間で、そのために自殺したほうがいい人間だけど、もちろん、臆病だから自殺することなんてできない。そう、自殺できるほどのエネルギーがある人間なら、むしろ逆に救いようがある。鬱にしても、回復しはじめが一番自殺のリスクが高い。本当に自殺が必要な人間は、自殺できる状況下にはない(植物状態の人間とか、これは極限の例だろうけど)。

 臆病は、本当に人生を台無しにする性質だ。これほど有害な性質は他にないと思う。怒りや、悲しみには苦しみもある一方、原動力にもなるけれど、この臆病は、こういう役にも立たない御託を並べる原動力にしかならない。こんなこと書いてても、自分は一ミリも動けやしないのに、それなのに、ここに書かれているようなことを俺の臆病が一日2時間も3時間も考えさせて、全てのエネルギーを自分からゴミ箱に捨てている。しかも、こういうことすべて、自分がやりたくないことと考えていることを率先して行っている。どこまで人生を無駄にすれば気が済むのか? まるで誰かに向かって人生は無駄であるということを証明したがっているみたいだ。そんなことは証明できないし、自分の人生を無駄にしたところで、ただ単純に自分一人の人生が無駄だったということを証明するだけなのに。自分一人の人生を人類全体に適用できると思っている間抜けにはそんなこともわからないのか。

 臆病さは人の人生から価値を失くしてしまう。自殺もできないから、臆病な人間は価値のない人生を刑罰のように耐えるしかなくなる。この臆病さというものは絶対に破壊しないといけない。そのためなら向精神薬でもなんでも、頼ったほうがいい。有害な存在を前に手段を選んでいる暇なんてない。

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