感情の再現
鬱になると、頭は働かなくなる。感情の抑揚が乏しくなるのも、感情だってやっぱり脳から発生しているものだろうから、頭が働かなくなるという症状の中に含まれる。実際に感情が働かなくなってきてはじめて、楽しいとか、面白いということが自分がなにかやるとき、いかに自分の能力を底上げしてくれていたかが身に染みてわかる。楽しい、とか、面白い、というものがないと、頭は働かない。本を読むときもそうだけど、楽しい、と言うことが原動力になってはじめて、そこに書かれている内容のことを考えたり、解釈したりすることができる。鬱状態でも本を読むことはできる。ただ、その場合、傍から見たら本のページを開いていても、本を読んでいるというよりも、紙のうえに書かれている文字の羅列を追っているだけだ。
鬱を経験したことがない人には、楽しいことを楽しいと感じられないことのつらさが分からないだろうと思う。自分にとって、楽しいはずのことが楽しいと感じられなくなることには、病的な苦痛が伴う。これは明らかに、何か原因がはっきりしていて、それについて悩んでいるときの苦痛とは質が違う。楽しいはずのことが楽しいと感じられない、それは大袈裟にいえば、アイデンティティの危機だから、そういうとき、自分はよく、無理矢理楽しもうとした。テレビで映画を観ているときは、感動的な場面を何度も何度も巻き戻して、無理矢理涙を流そうとした。無理矢理自分は感動しているのだと思い込もうとした。そういうときに行うのが、いってみれば感情の再現で、自分が昔感動したときのことを頭の中で再現して、それを意識的に抽出して、現在の感情の状態に割り当てる。そうすることで感情を捏造する。それが偽物ではあるとはわかってるけど、偽物を本物と信じる努力をしなくてはならないし、自分にとっては偽物を本物と信じることこそが自己肯定感だから、偽物をただの偽物としか思えなくなったら、そのときは気が狂って死ぬ。