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視線を逸らさない“勇気“

 不作為の作為・・という言葉があります。意識的に、本来やるべき事をしないこと。

 言い方を変えれば、やるべき立場の人が、何もしないことを意味します。また、見て見ぬふりをする。これも、不作為の作為でしょう。本来やるべきこと、しなければならない事を放置していると、物事は、大きくゆがんできます。作(さく)とは、働いて結果を生む、働き、人の立ち居振る舞いetc.の事です。為(い)とは、行う、意識してする、因縁によって現象が生滅するetc.の意味となります。

 作為(さくい)とは、意識して行うことによって、結果を出すことなんですね。


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 社会の進歩・発展は、まさに作為の連続の結果だと思います。これが、不作為の連続であれば、何も生まれません。

 時に、不埒な人々によって、本来行われるべきことが隠蔽され、不作為の作為がある。そうすると、そこに大きな歪みが生まれます。政治の世界も、経済の世界も、地域社会、私たちの人生においても、あらゆる所で、新たな課題に直面しその解決を求められます。しかし、ともすれば、それに対応しようとしない人々が、対応しなければならない立場にいる場合があります。そこに不作為の作為が生まれます。

 私達は、現実に、そのような場面にぶつかった場合には、できるだけ早く、問題解決に向けた取り組みを始める、そんな勇気を持ちたい。