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【短編】自殺アプリケーション『ユートピア』

20XX年、日本政府は安楽死(自殺)制度を導入した。

「人類に与えられる自由は生きるものだけではなく、死も含まれるべきだ」を理念に発足されたものである。

義務教育を終えたタイミングで、スマートフォン端末の配布と国民の脳内にチップが埋め込まれる。

このチップは、端末にインストールされてる自殺アプリケーション『ユートピア』と連携しており、こちらを開くと赤いボタンが表示される。

そのボタンは本人以外が押しても何も起こらないが、正常に作動すると端末の持ち主の脳細胞が瞬時に破壊され、苦痛を感じることなく死ぬことが出来る。

端末の所持は義務化されており、そこにはマイナンバー(個人を証明するもの全般)が含まれていたり、日本の新たな通貨である『YEN』を介した取引もそれでしか行うことが出来ない(硬貨や紙幣は廃止され、完全デジタル化されている)


この制度を導入してから意欲的に挑戦する若者が増えた。

「失敗したら死ねばいい」

不謹慎に感じる言葉だが、見方を変えればポジティブとも捉えられる。変に将来を考えることで、今しかできない「挑戦」を行えなかった保守的思考は「いつでも死ねる」という「保険」によって打ち砕かれつつあった。

逆に犯罪も増加した。

必ずしも挑戦がポジティブであるとは限らず、将来があるからこそ、ストップされていた理性が無くなったことで「バレたら死ねばいい」の精神から犯行に及ぶ人間が増加したのだ(犯罪をネガティブな「挑戦」と表現するのは、いささか配慮に欠けると思えるが)

SNSで死を仄めかす投稿が減少した。

それもそうだ。その権利が得られたのだから「死にたいのなら勝手に死ねばいい」と言われるだけである。自分の命を人質とした、承認欲求の稼ぎ方も自然となくなっていった。

安定した死が提供された。

今までは生きる可能性がある限り、どんな姿になろうと生命維持が行われていた。呼吸するだけの状態でも、心身ともに疲弊しようとも、最後の最後までこの世にいることが義務のようにされていた。

「仮に寿命や難病で生き永らえたくないのなら、医療機関を受診しなければいい」との声もあったが、安楽死制度が存在しない頃は、苦痛に耐えるか自ら命を絶つしか存在せず、どちらも当人にとっても、周りの人間にとってもいい結果を生むものではなかった。

自殺方法も様々だが、中には良くない方法も存在する。しかし、『ユートピア』が提供する「死」は素晴らしいものだ。


今日も日本では黒煙が立ち上っている。

桜が舞い散る中、私はもらったスマートフォン端末を操作してアプリケーションを開く。

数十年前は成人式で端末が配布されていたようだが、義務教育を終えた後は責任能力があると判断され、変更が行われたと社会の授業で習った。

その際、まだ改正の余地があると私は強く思ったけれど。

赤いボタンが表示される。その上には簡素なフォントで「死にますか?」の文字が書かれていた。

迷うことなくボタンを押す。その瞬間、何も考えられなくなった。


20XX年、某日。〇〇中学校の校門前で少女の遺体が発見された。服などで隠れた箇所からは暴行の跡が見られ、所有物にもイジメを決定付ける証拠が発見された。


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