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【短編】ブンシンガム

【0】
「パイセン、こんなウワサ知ってます?」

放課後、たまり場である体育館倉庫でタバコに火をつけながら雛街 香月(ひなまち かげつ)が唐突に口を開いた

「どした急に? 怪談話ならやめてよ。これ以上寒くなっても困るし」

私こと小鳥遊 杏子(たかなし あんず)は自分のポニーテールを指で弄りながら答える

今は2月。当たり前だが、ここに暖房器具なんて設置されていない

なので女子力を生贄に捧げてスカートの中にジャージを履いたり、カーディガンをひざ掛けのようにして寒さを凌いでいた

それこそ香月はショートヘアーなので私より首元とか寒い気がするけど、漫画などで見る「元気っ子は体温高いの法則(私が勝手に名付けた)」なのだろうか?

「ありゃりゃ、まさにゾッとする系だったんですけどね

これは、我が校である春日女子高校に2年前から伝わるウワサなのですが……」

「続けるんかい! あと歴史浅いな!」

まぁ、暇だからいいけど。家に帰ったところで気分が悪くなるだ

しかし2年前というと、私がまだ中学3年の頃か

「こほん……ある1年生、ここではA子ちゃん(仮名)としましょうか。その子は悩み事がありました。なんでもテニス部に入部したらしいんですが、中学の頃とレベルが違いすぎてついていけなかったようなんです」

香月は話を続けながら、持っていたタバコを逆さにして床へ立て始めた(蝋燭のつもりなのだろうか?)

確かに、うちの高校は運動系の部活に力を注いでいる。今ではヤニカスの私も、スポーツ推薦でこの高校へ入学したしな

「朝は誰よりも早くきて練習、放課後は誰よりも遅くまで残り練習……それでもA子ちゃんはレギュラーに入ることができませんでした。そんなある日、遅くまで練習した帰り道で、彼女は知らない男性に声をかけられたそうです。『このガムを噛めば、君はたちまちテニスが上手くなるよ』って」

「は? ガム?」

怪しい人物が出てくるあたりはそれっぽいが、渡すものがガムって……

そこは呪われたテニスラケットとかじゃないのか?(呪われたテニスラケットもなんか滑稽だけど)

「私もウワサを聞いたときは意味不だったんで着色しようと思いましたけど……それで、A子ちゃんは明らかに怪しいと思いましたが、藁にも縋る思いでそのガムを受け取って食べたらしいんです。すると、次の日から彼女は一変したんですよ! 錦織圭も舌を巻くサーブ! まさに日本のシャラポワ! と言っても過言じゃなかったらしいです」

「なんか急に胡散くさくなったな」

まずガムを噛むだけでテニスが上手くなる理由が分からないし、後半の表現は明らかに香月が盛ってそうだ

あんま錦織圭に詳しくないけど、たぶんサーブが有名な人じゃないと思うし

「んで、ここからなんですが……彼女の周りで奇妙なことが起こり始めたんです。なんでも同時刻に彼女を別の場所で見たっていう人が続出したらしいんですよ! 分かりやすく言うと『ハリーポッターとアズカバンの囚人』でハーマイオニーが同時刻の別授業に出てた! みたいな?」

「確かにハリーポッターはアズカバンまでしか見てないけど覚えてないわ」

試しにGoogle検索したところ、思ったより物語を支える要素らしい。久々に見返そうかな……香月も不安になって携帯画面と睨めっこを始めた

「なんかもう怖いって空気じゃないですが……ある日を境にその現象は止まったんです。A子ちゃんはテニスが上手くなりました。でも、それとは別に性格まで変わっちゃったんです。その表情からも人間らしさがなくなっていたようです」

これ以上、変にツッコんでもダレるだけなので、私は適当に相槌をうって続きを促した

「A子ちゃんの友人は心配になって彼女の家に行ったらしいんです。チャイムを押しても反応はない……でも、ドアが少し開いていました。そこを覗くと中には……」

「……っ」

急にそれっぽくなるので、思わず唾をのみ込んでしまう

寒さのせいだろうか? 空気が張り詰めている気がした

「両親を取り込むA子ちゃんの姿が! ぐわぁぁぁ!!!」

「のわぁ!」

話のオチを大声で叫びながら、香月は私に覆いかぶさってきた

人を取り込むって寄生獣かよ

「はぁ……もちもちパイセン……もちパイっす」

百合営業ぐらいくっ付いてくるな(悲しいことに臭いはヤニ)

香月の家は年下の兄弟が多いって言ってたし、スキンシップが激しいのだろう。でもまぁ……寒いからちょうどいい気もするが

そして残念ながら両者とも彼氏募集中である

そんなやり取りをしていると、唐突に扉が開いた

「ごぉぉぉぉらぁぁぁぁぁ!!!!!」

「「ひぎゃあああぁぁぁぁぁ!!!!!」」

陳腐だと思っていたが、さっきまであんな話をしていたところに開いた扉から目が覗き込めば叫びもするだろう

私たちは思わず叫びながらお互いに抱きしめあってしまった

だが、それは未確認生物でもなんでもなく知っている人物だった。その上で危機が終わっていないことを悟ることになる

そこに立っていたのは生徒指導の山下だったからだ。そしてこの室内にはアホが雰囲気作りのために立てまくったタバコ。現行犯逮捕待ったなしである

「逃げるぞ香月!」

「すたこらさっさ!」

私たちは座っていたマットから飛び立つと、扉とは反対側に設置されている窓に向かって走り出した

「おい! せめて消していけ!」

倉庫から脱出して校門を目指す間にも、後ろからそんな叫び声が聞こえたが、それも徐々に遠ざかっていく。さすがに優先度は「説教<タバコの後始末」のようだ

「はははっ! 明日はカミナリが落ちますかね~」

「ま、明日のことは明日考えるとして……しゃあないしカラオケでも行くか」

逃げることには成功したが、たまり場から追い出されたことには変わりない。仕方ないので別の場所へ移ろうと思ったが

「さーせん! 自分、この後バイトなんですよ~」

残念なことに香月に予定が入っていた。どうやらタバコがバレようがバレまいがお開きになっていたらしい

そういえば最近バイトを増やしたとか言ってたもんな。しかし、直前までタバコ吸ってたの大丈夫なのだろうか?(未成年で雇用されてるはずだけど)

「そっか、がんばれよ! さっきの話じゃないけどガムでも噛んでタバコの臭い消しとけ!」

私はたまたまポケットに入っていた500円を香月に向かって投げた

彼女はナイスキャッチをかました後、『パイセン女神! パ女神!』と謎の造語を発明しながらバイト先へ向かっていった

【1】
「暇になってしまった……」

香月と別れた後、特にすることもなかったので何となく学校近くの公園でくつろいでいた。名物のジャンボ滑り台では子供たちが列を作っている

ベンチに座りながらタバコへ火をつける。遊んでいる子供諸君、こんな高校生にはなるなよ

まだまだ寒さの厳しいこの季節。だからこそ白煙がくっきり映って……ふむ、悪くない

「ふふっ……でも私はパターン化されたエモに興味はなぁぁぁぁぁ!!!!!」

感傷に浸っているところへ激痛が走った

顔面に鉄球でも投げられたか!? と思い、周りを確認すると足元にサッカーボールが転がっていた。乾燥した季節の衝撃は通常の100億倍にもなるらしい

「レディーの顔面になんてことしやが……」

鬼の説教タイムをかますために飛んできた方向を見ると、そこには無表情の少年がこちらを凝視していた

背丈は小学生ぐらいだろうか? しかし、その日本人離れしたショートの金髪と青い瞳、作り物のように整った顔からは生気を感じなかった。服装もいいところの坊ちゃんっぽい

その容姿に言いたかったセリフも思わず引っ込んでしまう

「ごめんなさい」

彼はそう言いながら頭を下げた後、私の足元に転がっているボールを指さした。犯人はこの子で間違いないらしい

「あ、あぁ…………うん。次から気を付けなよ。クソ痛かったし……」

私は呆気にとられながらも彼にボールを返した。それでも彼の表情は、まるで塗り固められたかのように微動だにしない

「これ、お詫びです」

すると彼は持っていた鞄に手を突っ込むと、なにかを取り出して私へ差しだしてきた

お詫びの品とは……ますます子供らしくない。それに小学生から貰うのも気が引ける

「いや、別にいらな……ん?」

渡されたのは何とガムだった

変な縁を感じてしまい、思わず受け取ってしまう

そのパッケージは企業努力を感じられない無地。もはや味すらも記載されていない(商品として大丈夫なのか?) 

唯一、そこに書かれていたのは

「ブンシンガム?」

コンビニ乱用の現代っ子である私でも、この名前は聞いたことがない

味も連想できないし、もしかして忍者の里を模した施設のお土産とかか?

「欲しがってると思ったから」

「え? それってどういう……」

渡されたガムから声のする方へ視線を移す。しかし、そこには誰もいなかった。周りを見渡しても彼の姿を確認できない

「ボルトも驚きのスピードだな……ま、吸い終わったところだしちょうどいいか」

もしかして、そういう意味でガムを欲しがってると思われたのか? もしそうなら、ますます子供っぽくない

捨てるのも忍びないので開封して口に放り込む

こ、こ……これは!!!!!

「ゲロゲロゲロゲロ~~~~~!!!!!」

死ぬほどマズい!!!!!

粘土のような噛み応え(食べたことないけど)樹脂のようなヌチャヌチャ具合(食べたことないけど)舌が『こんなの食べ物ではない!』と警報を鳴らし続けている! 極めつけは鼻腔を突き抜ける肉が腐ったような臭い!

あまりのマズさに公衆トイレへ行くのが間に合わず、地面にゲロをぶちまけてしまった

「あのクソガキ……まさかユーチューバーか!? ティックトッカーか!? この姿を撮影して『糞マズいガムJKに食べさせてみたwwwww』なのか!?」

そう思って隠れられそうな場所まで探すも、やはり彼の姿はなかった

もしやマジの忍び?

行き場を失った怒りを置かれていたゴミ箱を蹴ることで発散した後、とにかく気持ち悪いので飲み物を買うために公園を後にした

『ズズズ……』

その吐しゃ物がわずかに動いていることなど、私は知る由もなかったのだ



「くそっ! まだ喉がイガイガする」

あの後、飲み物を購入して鬼うがいからのガブ飲みで九死に一生を得た。ゲロの後処理のことも考えたが面倒になってしまい、適当なゲーセンで時間をつぶし終えて今に至る

すっかり日が落ちており、スマホを開いてみると23時をとっくに過ぎていた

久しぶりに吐いたからか、まだ本調子になれない。遊んでいたゲームでも連敗続きだった。いつもなら勝てたはずなのに(多分)

少しふらつきながらも家に到着し、鍵を開けようとしたところで違和感に気付いた

開いている?

ゆっくり扉を開いて中を覗き込む。玄関には知らないビジネスシューズが並んでいた。そして、リビングなどは真っ暗なのに母親の寝室からは光と聞きたくもない嬌声が漏れている

そういうことか……

「しょうもな」

私はそう言うと、息を殺すように自分の部屋へ逃げ込んだ

【2】
「ふぃ~ さむさむ」

私は廊下を歩きながら手をこすり合わせる

家の布団は恋しいが家が恋しいわけじゃないので学校には行く。タバコを吸ってるだけで不良少女というわけではない

暖房のきいた教室で授業(爆睡)を受けて、気が付けば放課後になっていた

昨日の今日で体育館倉庫へ行くわけにもいかないので、第二候補である使われていない教室で集まることにした

既にラインを送っていたからだろう。扉を開けると、干された布団のように伸びている香月がいた。その右手には携帯が握られており、ユーチューブの動画が再生されている

「ぴとり。なに見てるの?」

「うひゃ! ちょっとパイセン! 冷たい手で首は禁止っすよ! えーっと、なんか検証してみた! みたいな動画です」

そう言うと、香月は携帯をこちらへ向けてきた。そこには白衣の男性二人組がオーバーリアクションをしながら実験をしている姿が映されている

「ふーん。こんなの興味あったんだ」

「いや、金欠なんで片っ端から動画見てるって感じですかね? これもオススメに上がってきたから見るかぐらいですし」

机に頬をくっつけながら香月は答えた。ぐてーっとした仕草からはヤニカスなんて信じられない人もいるだろう。金欠でもタバコはやめられない……これぞ性(さが)である

「てかパイセン、昨日の夜に学校近くの……あのデカい滑り台がある公園にいましたよね? 声かけたのにシカトするなんて泣いちゃいますよ~」

動画に飽きたのか私が来たからなのか携帯を鞄の方へ投げると、香月はこちらをジト目で見てきた

「公園? 公園ねぇ……夕方ぐらいまでならいたと思うけど、話しかけられた記憶はないぞ?」

首を傾げながら私は答える

「いやいや! この時ですよ! ほわわわわ~ん」

「それ通用するのアニメや漫画だけだからな」

説明を省こうとするな。かくかくしかじかもダメだぞ

「普通に説明するとですね……バイト終わりの帰り道、あの公園近くを通ったんですよ。そしたらパイセンが儚い美少女意味ありげって感じに立ってたので『パイセン~! なんなんすか~!? ロマンスの神様なんすか~!?』って声をかけたら無視されちゃって。拗ねた私はそのまま帰ったわけです」

ふむ。ずいぶん舐め腐ったことを言ってたようだが、全く記憶にない

普通に声をかけられたぐらいならスルーしててもって思ったが、これは無視するわけがないしお仕置きアイアンクローをかましてるだろう

「そのセリフはいったん置いといて、バイト終わりって9時とかだろ? その時間はゲーセンにいたし人違いじゃないか? つまり、その見知らぬ人にとってお前はヤバい奴ってことになったわけだ」

「うーむ。あのポニテ、あの姿……パイセン検定二級を持つワタシからすると間違いないと思ったんですがね。ウチの制服だったし」

なんだパイセン検定って……しかも一級じゃないのかよ。もっと頑張って取得してくれ

まぁ冬場の9時なんて真っ暗だし、見間違えても不思議ではない。ポニーテールなんて珍しい髪型でもないからな

「でもシカトされたんじゃなくて良かった~ そうっすよね! 私とパイセンの仲ですもんね~ すりすり~」

まるで小動物のようにお腹に抱き着いて頬をすりすりしてくる。こいつなりに心配してたようだ。まったく……今日は思う存分くっつくがいい

前言撤回。横っ腹をつまんできたのでチョップをお見舞いする

うん? なんかこれデジャブ感じないか?

昨日もまんがタイムきららみたいなことをしてる最中に……

「はぁ……お前ら懲りずにまた放課後にたまってるのか? ずいぶん仲良しなことで」

「「げっ……」」

予感的中。唐突に開いた扉からは山下が登場。またしても私たちは声を揃えることになった。あ、あと私たちはノーマルだからそこは勘違いしないでね?

そもそも昨日の件で呼び出しとか教室に来なかっただけマシか……遅かれ早かれ説教されるのは決まっていたのだ。観念するしかない

「ちょうどいい。雛街! タバコの件で話があるから残りなさい。小鳥遊はさっさと帰れ」

しかし、山下は香月だけ残るように言うと、私には手を払うジェスチャーをしながら帰宅を促した

「ちょっとタンマ! なんであのタバコが香月のものだって分かるんだよ! 確かにタバコはあったが、床に立てられてただけで吸った現場を見たわけじゃないだろ! コイツだけ説教ってのは違うじゃん!」

説教は面倒だが後輩だけ怒られる状況が分かっていながら帰るのは違う気がする。なにより香月が吸ったって決めつけが腹立たしい(合ってるが)

「パイセン……ほろり」

私の男気を見て香月も感動している。口から『ほろり』なんて言葉が漏れてるぐらいだ。反省の色はゼロである

だが、山下から発せられた言葉は私の斜め上をいくものだった

「なにを言っている? お前には昼間に説教しただろ。そのせいでこっちは飯抜きだ。文句もいわず素直に頷いてたから反省してると思ったが、どうやら勘違いだったようだな」

「は?」

予想しない回答に思わず変な声が出てしまう

昼間に私が説教された? その時間は普通に総菜パン食ってたぞ?

「いやいや! 説教された覚えもアンタに会った覚えもないし! ハムロールパンめっちゃ美味かったわ!」

説教待ちのマゾみたいになってしまうが記憶にないため声を荒げて反論してしまう

「こんな嘘をついて何の意味がある。別の意味で心配になるぞ……まさか! お前、危険な薬とかやってないだろうな!?」

「パイセン! 薬ダメ! 絶対!」

「やってねぇわ!」

まるでトリオコントのようになってしまったが、予定通り私たちは仲良く揃って説教された

しかし、なにを言われたのかまったく覚えていない

香月の見間違いだけなら理解できるが、だいの大人が説教相手を間違えるだろうか?

心のもやもやだけが増幅していった

こってり絞られた後、香月は『それじゃ! ウチ、弟たちの世話とかあるんで!』と言って帰ってしまった

バイト代の半分は家に入れて、空いた時間で兄弟の世話をする。ストレスの逃げ場としてタバコを吸っていてもお釣りがくるくらい出来た後輩だ

現実から逃げるために吸い始めた私とは大違いである

気持ちが落ち込んできたので、近くにあった自販機でホットココアを購入する。かじかんだ手があったまり心が少し落ち着くのを感じた

まだ家に帰りたくない

そう思うと足は自然とあの公園に向かっていた

「はぁ、生き返る……」

私はベンチに座るとホットココアを飲み込んだ。外の寒さもあり、温かな液体が食道を伝っていくのが分かった

一人ということもあり、自然と考え事をしてしまう

香月の話だけだったらスルーしていたと思うが、教師にまで言われるとさすがに気にせざるを得ない

私に似た人間が私の通う学校に存在する確率って何%だろう? 

しかし、大人を騙せるほど瓜二つであれば噂にでもなってそうだが

なにかがおかしい

漠然とその言葉だけが頭の中に残った

胃の中でココアがぐるぐると渦巻いてる感覚に襲われる。すごく嫌な気持ちだ

その気分に引き寄せられたかのように、私にとっての『最悪』が近付いてきた

「あら、こんなとこにいたの?」

その声を聞いて反射的に身体が強張ってしまう。俯いたまま数秒ほど固まってしまうも、意を決して顔を上げた

腰まで伸びる長髪は綺麗に整えられており、服も新品のように汚れ一つない赤のレディーススーツ。月夜に照らされた顔は化粧で彩られている

私の記憶とかけ離れており、思わず疑問形になってしまった

「かあ……さん?」

ちゃんと姿を直視するのは何ヵ月ぶりだろう?

断片的に見た際は、ぼさぼさの髪にジャージ姿。外出するときも恥ずかしげもなくそのまま行っていた気がするが、どうせ街で飲み歩いていたのだろう。こいつが着飾って外出するときなんて男漁りぐらいだ

「なんで疑問形なのよ? さっきまで一緒にご飯食べてたじゃない?」

その言葉に一瞬で頭が真っ白になる

は? 一緒にメシ?

そんなの、『あの日以来』一度もした覚えがない!

「つかゴメンね。放任だったよね。でもさ、あの事故から私も辛くて……でも、あんたが彼との交際を認めてくれるって言ったとき、このままじゃダメだ! 頑張って変わらなくちゃ! って思ったんだ」

恥ずかしそうに頬を掻く姿が更に私をイラつかせる。彼女の言葉が鼓膜を通ることが気持ち悪くて仕方がない

まただ……どうなってんだよ……

知らないところで知らない私が、私の人生を狂わせている

自然と息が荒くなり口元から白煙が溢れた

それを見かねた彼女は、こちらに手を差し伸べてくる

「寒いし帰ろ? これからのこととか話したいし」

「……っ!」

その左手に指輪は着いていなかった

私は思いっきりその手を払いのけると、一目散にその場から走り去った

「なんなの……痛いじゃない」

ぼやくような声が聞こえたが、お構いなしに走り続ける

「くそっ! くそっ……」

怒りや悲しみといった感情が重くのしかかる

帰るわけにはいかないので適当な満喫を借りることにした。部屋に入って落ち着いた瞬間、一気に色んなものが込みあがってきて

私は泣いてしまった

【3】
高校に入学して間もなく、父が交通事故にあった

泣き崩れる母から聞かされ、急いで病院へ駆けつけたが数時間後に彼は帰らぬ人となってしまった

『高校の授業って難しいね』とか『部活で新しい友達ができたんだ』とか、なんてことない会話をこれからもすると思っていたのに

幸せな生活は一瞬にして崩壊した

お葬式のとき、見るからに高そうな喪服を着た男性がこちらに近付いてきた。どうやら彼の息子が今回の事故を起こしたようだった

母とその男性が何かを話している最中、私は信じられないものを見てしまった

母が笑っていたのだ

その日を境に私たちの生活は見違えていった

誰もが耳にしたことのあるブランド品の服や家具、母の首には宝石をはめ込んだネックレス……嫌でも察しはつく

ほどなくして私は部活をやめた

お願いすればきっと新しいシューズも高いユニフォームも買ってもらえただろう。でもそれは父の死を冒涜した結果に得られるものだ

『あの金』で生活をしたくなくてバイトも始めた。タバコの味を知ったのもその時だ。できるだけ家にいる時間を減らし、それに比例して母との会話もなくなっていった

母からも……父の死からも……私は逃げ続けた

「……なんだ、夢か」

目を覚ますと見慣れない天井が出迎えた。脳の覚醒とともに夢の内容は朧げになり、昨日の出来事を徐々に思い出してくる

そうか、確か満喫に泊まったんだっけ

だるい身体を起こしながら身支度を整える。同じ下着なのが気になるが背に腹はかえられない

支払いを済ませて外へ出る。今日も変わらず凍えるほどに寒かった

「おいっすパイセン! おほほ、やっぱモテモテですな~」

その足で学校へと向かい下駄箱を開けると、中から大量のチョコがなだれ込んできた。どこかでスタンバっていた香月が後ろから覗き込んでくる

「なんだ、いたのか……」

チョコの洪水を見て今日がバレンタインデーだったことを思い出す

本来、女性から男性にチョコを渡すイベントだがここは女子高である。なぜかは知らないけど昔から同性にモテるようで、去年に引き続きそれなりの量が入っていた

「なんだって酷いじゃないですか~ いいな~ 私なんて一個も入ってなかったんですよ。欲しいな~ モテモテのパイセン、モテパイから何か欲しいな~」

普段なら可愛く思える後輩の言動も、今はちょっと鬱陶しく感じる。面倒なので数個ほどポケットに入れて、それ以外は渡すことにした

「え!? いいんですか! むお~ 欲を言えばパイセン手作りチョコを貰いたかったですけど、これだけあれば弟たちにも上げれちゃうな~」

『ピクッ!』

自分の頬が引き攣ったのが何となく分かった

「お母さんの方針でお菓子とかあんま家に置いてないんですよね。私はいいんですけど、弟たちが時々ぐずるから」

私がおかしいんだ。それは分かっている

でも止められなかった

その家族愛に、そんな家族が残ってる彼女に嫉妬した

「えっとねパイセン、実は私からもチョコ……」

『グチャ!』

気が付くと香月の持っていたチョコを奪い取って踏みつぶしていた

ただの板チョコだったが、その箱には『パイセンの!特別!』と書いた付箋が貼ってあった

我に返り、自分の犯した愚行に気が付く。すぐに謝ろうと顔を上げたが

「うっ……うぅっ……」

彼女は泣いていた

戸惑った表情と流れる涙は重力に逆らえず床へと零れ落ちていく

「あ、その……」

早く謝らないといけないのに、なかなか言葉が出てこない

『え? なになに?』『もしかして修羅場?』『サイテーだろあいつ』

周りもこのことに気が付きはじめ野次馬が集まってくる

どうすればいいか分からなくなった私は、外に向かって走り出してしまった

「はぁ……はぁ……」

普段より早く息が上がる

闇雲に走っていると、いつの間にか私は知らない路地裏に迷い込んでいた

香月の泣き顔や昨日のことが頭を駆け巡る

呼吸することすら厳しくなり、膝に手を当てて立ち止まった

「どうして……こうなっちゃうんだよ」

無意識に弱音を口にする

粘り気のある唾が喉に引っかかり吐きそうになった

「やっと人目のない場所に来てくれたか」

地面を見つめる私に何者かが近づいてくる

その声には聞き覚えがあった。いや、覚えがあるなんてもんじゃない

だってその声は

「わた……し?」

振り返ると、そこには『わたし』が立っていた

ポニーテールの長さから学校の制服、昔から言われてる少しやんちゃな顔立ちや目元まで一寸違わず『それ』は『小鳥遊杏子』の姿をしている

信じられないものを見て呆然としていると、彼女の方から話し始めた

「ま、そうなるのも無理ないか……って、話し方これで合ってる? 唾液の情報だけだと分からない部分が多くてさぁ。観察してたら見られたりして困ったよ」

途中の動作一つを見ても気味が悪いぐらいに『わたし』だ。目の前に鏡を置かれていると言われた方が信じるだろう

ドッペルゲンガーの話ぐらいは耳にしたことがあるけど、所詮そんなのフィクションに過ぎない。現実で起こりようがないのだ

「ははっ……そっか、これ夢なんだ。お前も、香月と喧嘩したのだって……お父さんが死んだのだって! ぜんぶぜんぶ夢なんだ!」

あの日からずっと思ってたんだ! この世界が夢であるようにって!

やっと! 夢の方からネタバラシしてくれたんだ!

ねぇ……

だったら早く目覚めてよ……

こんな夢、辛いだけだ

「いやいや、夢オチなんてサイテーでしょ?」

そう言うと彼女は自分の右腕を振り下ろす。遠心力を帯びたそれは肩から引きちぎれ私の腹部を直撃した

所詮は夢での出来事。意味不明でもおかしくない

そう思っていたのに

「ぐはっ!?」

予想外だったのは痛みが生じたことだった。勢いよく飛んできた腕が私の身体を背後の壁へと思いっきり衝突させる

背中に感じる激痛が『これは夢じゃない』と訴えかけてきた

「なん……で」

それにこの腕、壁に張り付いて取れない。引きはがそうとしても粘着力がそれを邪魔した

「残念だけどこれは現実だ。そもそも宇宙人だって観測されてないだけで存在するかもしれないじゃない? 私という存在を初めて認識したのがお前だったってだけさ」

彼女は嘲笑いながら肩の断面図を左手で掴んだ

そのまま引き延ばすと元々あったかのように腕が生成された

「なんだよそれ……スライムかっての……」

痛みでアドレナリンが出ているのか吹っ切れた私は自嘲気味に笑ってみせる

「へぇ、いい線いってるよ。正しくは『ガム』だけどね」

彼女は初めて感心したような顔を浮かべると話を続けた

「ブンシンガム。唾液に含まれるDNAからその人間そっくりのクローン人間を生み出す代物だよ。もちろん公にはなってないけどね」

到底信じられないが、ここ数日でノイローゼになりそうなほど耳にした食品が私をこんな目に合わせているらしい

それにそのふざけた名前、どっかで見た覚えがあると思ったら公園で少年から渡されたガムと同じだ

つまりコイツは私があのとき吐き出したガムだって言いたいのか?

「くそっ……なにが『欲しがってると思ったから』だ……」

親切心で渡しましたみたいなこと言いやがって……最悪じゃないか

そんな考えを見透かしたかのように、彼女は頬を釣り上げながら近付いてくる

「いいや、欲しがってたはずだよ。父親が死んだあの日から今日に至るまで心の何処かで思ってたはずさ。『こんな世界にいたくない』ってね。だから代わってあげるんじゃない。私が小鳥遊杏子になってあげるよ!」

彼女の叫びとともに巻き付いていた腕が伸びて私の拘束を強める

「なにを……やめ……」

目の前まで来た彼女の身体が真っ二つに縦へ割れると、まるで取り込むように私の身体を覆ってきた

抵抗しようと藻掻くも徐々に力がなくなっていく

あぁ、もうどうでもいいか……

無駄と分かり私は振り払うことすら止めた

いつもみたいに逃げちゃえばいいんだ……

もしかしたら、本当に私は望んでいたのかもしれない

この世界から消えることを―――

すべてを諦め、瞼を閉じようとする

しかし、それは震える声によって叶わぬものとなった

「なんすか……これ……?」

声に反応するように目を開くと、そこには息を切らして震えている香月の姿があった

なんでこんなところに!? もしかして追ってきたのか!?

私が一方的に八つ当たりをして謝りもせず逃げ出したのに、お前ってやつは……って感動に浸ってる場合じゃない! 

私だけなら構わないと思っていたが、大切な後輩に危害が加わるのはダメだ! 

「にげ……ろ!」

その一言を最後に、私は完全に取り込まれた

「パイ……セン?」

ここで追いかけなかったら二度と会えないような気がして、そう思うと足は勝手に動いていた

必死に走って、やっと追いついたと思ったらパイセンが二人いるし、かと思ったら一人になったし片方のパイセンなんか激ヤバだし!

それにあの光景……私が聞いたウワサ、作り話なんかじゃなかったんだ

「よぉ香月。こんな場所になにか用事か? サボりならゲーセンにでも行こうぜ」

振り返った彼女は何もなかったかのように話しかけてくる。声も姿も間違いなく私の知るパイセンだ

でも違う! つか変形してたし!

「もう色々見ちゃったから騙されないし! お前なんて偽物パイセン、にせパイなんだから!」

私は近くに落ちていた石を容赦なく投げつける

持ち前の運動神経で顔に直撃させるも、潰れた顔は瞬く間に再生した

やっぱ目の錯覚なんかじゃない。こいつは人間じゃないんだ!

「あっそ……つか、君ってアホでしょ? 見てたなら分かるよね? 私が人間じゃないってことぐらい。騙されたフリでもしてれば苦しまずに済んだのにさぁ!」

そう言うと、彼女の腕は伸びて私の首を思いっきり掴んでくる。そのまま重さをものともせず軽々と持ち上げた

「うぅ……」

息が……苦しい……

「正体バラされても面倒だし死んでもらうわ」

そいつの顔はどんどんと歪み、改めて人外であることを思い知らされる。いや、どれだけ上手に擬態しても偽物だって分かったはずだ

下駄箱から飛び出したときのパイセン、チラッとだけど泣いてる顔が見えた

人を傷つけて笑うような人間じゃない!

「ごめ……ごめんな……さい」

「は? いまさら命乞いしても遅いっての」

命乞いじゃない。私は死ぬ前に言わないといけないことがあった

「わた……し、無神経なこと……言っちゃって……パイセンのお家のこと……話してもらってた……のに」

パイセンに話してもらえたあの日、嬉しかったんだ

そんな大切な話を私に打ち明けてくれて、ただの友達じゃないんだって思えた

心にあいた隙間を埋められればなんて、図々しくも思っちゃって……

なのに、私は裏切ってしまった

本当にごめんなさ……

「なに謝ってんだよ」

「!?」

先ほどまで愉悦に浸っていたそいつ表情が見る見るうちに困惑したものへと変わっていく

それに今、こいつの口が動いていないのにパイセンの声が

「おらぁぁぁぁぁ!!!!!」

次の瞬間、そいつの腹部を一本の腕が突き破った。その穴が広がったと思うと一人の少女が出てくる

「謝るのは私の方だろ? 香月」

「パイセン! もう会えないかと……うぇぇぇん!!!」

照れたように笑う彼女を見て、私は思わず泣きだした

ドロドロになった服を気にせず、香月は私の胸に飛び込んでくる

涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっているが、そんなこと些細なことだろう

今はこの幸せをかみしめることにした

「てめぇ……なにをした!?」

だが、そいつは余韻にも浸らせてくれないらしい

苦悶の表情を浮かべ、這いつくばりながらもこちらを睨んできた

「耐久性も粘着性も兼ね備えたこの身体は完璧なはずだ! 不死身のはずなんだ! なのに何故、突き破られた腹が再生しない!?」

醜く開いた腹部を抑え、必死に問いかけてくる

再生しないどころか予想通り開いた箇所は広がり続けていた

「走馬灯ってさ、案外くだらないことを思い出すもんだなって」

「は?」

なので私は順を追って答えることにした

友情が教えてくれた突破口を

「お父さんのこととか初恋のこととか……もっと感動的だと思ってたのに、いざ私の頭に出てきたのはこいつと遊んでる場面ばっかだった」

私は香月の頭を撫でながら続ける

「つい昨日のことだよ。こいつがある実験動画を見てたんだ。チラッとだけどタイトルを覚えてて助かったぜ」

そう言いながら、苦しむそいつに向かってあるものを投げる。避けることのできない彼女は顔で『それ』を受け止めた

甘い香りが漂う、誰もが愛するそのお菓子―――

「『実験! チョコでガムは溶けるのか!?』だってよ」

「そんなふざけた結末があるかぁ!!!!!」

悲痛の叫びをあげる彼女にありったけのチョコレートを浴びせた

こちらに掴みかかってこようとするも腕は途中で溶け落ち、次第にその身体すべてがアスファルトの染みとなって消えていく

「ふざけたオチばっかだろ。現実なんて」

その姿を見て私はそうつぶやいた

「なぁ、もう離してくれよ。街中でこれは恥ずかしいんだが」

裏路地から大通りに移動するも香月はくっ付いたままだった

周りの視線が痛いって意味では下駄箱前と同じである。多様性の時代は遠いのかもしれない

「パイセン、今回ウチがどれだけ心配したか分かってないでしょ? 今日はずっとこのままなんだから」

頬を膨らませながら上目遣いでこちらを見てくる。香月のおかげで助かった手前、無下にもできない

死ぬかもしれなかった数分後にこんなことになってるんだから、人生ってのは分からないものだ

……まだ諦めるには早いのかも。そう気づかせてくれた

「私さ、母さんとちゃんと話そうと思う。もう逃げないよ」

まっすぐ前を見ながら意を決してそう言うと、香月はとびっきりの笑顔を浮かべてくれた

「パイセン! それがいいと思います!」

まるで自分のことのように喜ぶ姿を見て、少し照れ臭くなってしまう

そうだ、忘れないうちに

私は腹を括ってくっつかれながらコンビニへ入ると、板チョコを買って半分に割った

「一緒に食おうぜ。それとさ……」

ごめんなさい……

いや、そうじゃないか

「ありがとう」

私は本当に伝えたかった言葉を笑顔で口にしたのであった


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