「魂がフルえる本」 その9《太古からの呼び声 — 『火山列島の思想』 益田勝実》
「火山列島の思想」は11の小篇をまとめた本ですが、題名となった一篇をご紹介します。 著者の益田さんは、昭和の時代にもっとも活躍した国文学者のひとりです。
内容をおもいっきり要約すると、
「日本らしさ」というのは、その風土によってもたらされた。
そして、そこには日本各地にある「火山」の存在がとても大きく関わっている。
ということになると思います。
火山というのは、いちど噴火すると、その影響は長く広範囲に広がります。
マグマの流出、火山灰の降灰、地殻変動によって、自然環境はそれまでとは大きく変わってしまいます。 そして噴火そのものは、一時的であっても、相当の期間、日本中にその影響を及ぼし続けるのです。
そのような風土に生活し続けることが、ひとつの枠組になり、古代日本人の精神は形成されてきた、というのです。
話は変わりますが、私は長いこと和太鼓の演奏をしていますが、以前から、和太鼓の〝和〟にはどんな意味があるのか、考えてきました。
実は、和太鼓演奏の歴史はとても浅いんです。
太鼓という楽器は古くからあります。
神楽やお囃子を構成する楽器の要素としては、太鼓も含まれますが、
太鼓の演奏そのものを見せるようになったのは、つい最近のことです。
ですので、現在、舞台で観られるような和太鼓の演奏方法や表現の中に、伝統的、歴史的な、〝和〟=「日本らしさ」というものは、もともと存在しません。
わたしは、〝和〟=「日本らしさ」に依れるのは、「和太鼓」という楽器そのものにしかない、と思っています。
古い時代から今に至る時の流れの中で、太鼓を演奏する人は次々に変わっていくが、「太鼓」という楽器は時代を超え、「日本らしさ」が刷り込まれ続け、やがて固有性を持ち「〝和〟太鼓」と呼ばれるようになった。
「和太鼓」という楽器そのもののあり方に焦点を当てることで、そこに隠された「古代から繋がる日本の本質のようなもの」=「日本らしさ」が滲み出てくるのではないか・・・
ボンヤリと感じながら、まとまりきらなかった考えが、ここでひとつの答えを得たように思います。
「日本らしさ」なるものは、風土によって育まれる。
そう考えると、いろいろな部分で自分なりの納得がいきました。
私たちがよく知っている出雲のダイコクサマ=大国主(オオクニヌシ)の神は、オオナモチの神でもあって、オオナモチとは、大きな穴=噴火口を持つ火山を神格化した、日本固有の神ということです。
唸りました。
火山の噴火という、圧倒的な自然の力は、そこに生きる人々の深層に深く刻み込まれ、現代のような比較的安定した世界においても、消えてしまうことなく、「日本らしさ」の基盤となっている。
わたしは「爆発する」という、〝エネルギーの圧倒的な発露〟に強い魅力を感じるのですが、まさにこれこそが、古代的な日本人の感性の甦りなのかもしれません。