継承する姿勢
ふと、自分は特定の対象に対して(主に1人のひとに対して)わかろうとする姿勢はあるけれど、わかったあとにその人のことを他の誰かに伝えようという姿勢はないよなと思った。
別の言い方をすれば、知りたい欲はあるけれど、伝えたい欲は小さい。
もちろん別のひとと話していて、先ほどのひとと会った方がいいなと感じたら紹介はするが、広く多くのひとに伝えたいとは思わない。
それはひとに限らずそうだ。
好きなものや趣味があっても、それを宣伝したり伝えたりしない。
何故なのか?もしかしたら「広く伝えることの意義」をわかっていないからかもしれない。
「対象を深く理解した」と言っているが、そうではなくて「対象から深い内容を"教えてもらった"」と捉えたらどうだろうか?それも無償で。
教えてもらったのなら誰かに還元しないと心地が悪い。だけど対象に返すことはできない(何故なら対象は既に知っているから)。
そうしたら、対象以外の誰かに対象の良さを伝える他ないだろう。
別の捉え方もして考えてみる。
広く伝えているひとは何故伝えたいのか?
自分の推しのアイドルや好きな動物、スポーツ選手など、積極的にTwitterやInstagramで投稿しているひとがいる。推し活と言っているが、要は宣伝だ。少しでも長く対象が継続・存続することを願って、抽象的な言い方をすれば対象への愛に動かされて宣伝してしまう。
そういえば「宣伝するから好きになる」ということもあるらしい。
だとすれば、愛してるから宣伝するのではなく、愛する決意をしたから宣伝するみたいなことなのかもなと。
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