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最近の映画を観て感じたこと

この1ヶ月ぐらいで3つの映画を観た。

『わたしは光をにぎっている』『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』『ラストレター』

3つの映画を観ながら感じたことを備忘録として書き記しておく。

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「ひとは二度死ぬ。一つは肉体的に死んだ時。もう一つは、人々の記憶からそのひとの存在が思い出されなくなった時」

それは別の見方をすれば「物質的になくなってしまっても、誰かのこころに残っていれば、存在していると言える」ということ

たとえ物質的なつながりが失われたとしても、記録を通して、再度こころのなかでつながることができる。

そうやって肉体的な死を乗り越えていく。それは死者自身も。


ひとは根本に「さみしさ」を持っている。誰かとのつながっていたいと願う。

そのさみしさを埋めるように何かに没頭し、誰かを愛し、何か記録を残す。

今のさみしさを埋めようとすれば、死後のさみしさを埋められず。
死後のさみしさを埋めようとすれば、今のさみしさを埋められず。
そんな天秤の上でわたしたちは生きている気がする。

死を「点」と捉えると、「独りでいい」と思うかもしれない。
だけど死を「線の一部」として捉えたときに、誰のこころにも残っていないことは、とてもさみしいことではないだろうか。

自分の存在を思い出してくれる「記録」はあるのだろうか。「こころ」はあるのだろうか。

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