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居心地はネガティブ・ケイパビリティから生まれる
久しぶりに「ネガティブ・ケイパビリティ」という単語を思い出して、調べてみたらこんな記事が出てきて、読んでみた。
ネガティブ・ケイパビリティは、もともとはイギリスの詩人ジョン・キーツの言葉です。
キーツ自身は「不確実さや不思議さ、疑いのなかに、居続けられる力」、あるいは「宙ぶらりんのなかに、居続けられる力」と言っています。それこそが詩人に必要な力なのだと。
そこにさらに「性急な見解や解決を求めずに」と付け加えたら、わかりましょうかね。
ちなみにネガティブもあれば、ポジティブもある。
いま世のなかで重要だとされているのは、ポジティブ・ケイパビリティでしょう。問題解決や物事の処理能力で、これこそが現代の学校教育において追求されている能力です。
ネガティブ・ケイパビリティとポジティブ・ケイパビリティの定義を読んで思い出したのは、「いる」と「する」の話だ。
「いる」と「する」
少し前コルクラボで盛り上がっていた話として、「いる」と「する」の話がある。
現代で生きていると、何かを「する」ことが善であり、何もせず「いる」ことが悪、という価値観を持つ。例えばBBQに参加したら、何かしら役割(すること)を見つけようとしてしまうし、自分に役割がないと不安になってしまう。この不安は先ほどの「することが善」というバイアスによって引き起こされている感情なのだ。
コルクラボというコミュニティでは、何かを「する」ことを共通善としていない。ただ何もせずその場に「いる」だけで感謝されることもある。
そういう体験を通して、何もせずただ単に「いる」ことでも価値を生むことを体験していく。
居心地はネガティブ・ケイパビリティから生まれる
まさにこの体験はネガティブ・ケイパビリティを養う体験でもある。
「居心地が良い」とは、「その場・コミュニティに居る時の心地が良い状態」を指し、その居る心地はネガティブ・ケイパビリティを土台とする。
ひとは本能的に不安定な状況やこの先にどうなるか分からない不確実な状態を嫌う。自分の身を守るための動物的な本能だろう。
自分の身体感覚・感情に気付く
だからネガティブ・ケイパビリティを身につけるということは、そういった動物的本能に理性で対抗することなのだ。
最初は慣れないところもあるだろうけど、まずは不確実な環境に身を置いたときの自身の身体感覚をメタ認知することだ。「自分は今不安がっている」と気付く。そこからネガティブケイパビリティを養うことが始まる。
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