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紙ジャケ

 店にCDを見に行った時に、どんなアーティストのCDであろうと見かけると心躍ってしまうものがある。紙ジャケット仕様である。
 
 ご存知のように、音楽にはレコード、カセット、CD、MD等の媒体があるが、感覚的に見ればCD、レコードが現在は優勢だろうか。紙ジャケは、そのCDとレコードを良いとこ取りしたような形態である。え?「アナログ好きの懐古主義ジジイみてえだな」?そんな事思った人は今すぐAmazonやGoogle画像検索で自分の好きなアルバムの名前に全角スペースと「紙ジャケット仕様」という文言を付け加えて検索してご覧なさい。「おっ」と驚くはずだ。
 
 ジャケットが紙製であることの魅力は計り知れない。アルバムのジャケットのアートワークが紙に直接描かれているだけでもテンションが上がる。手に取ると薄く、それでいてどこか高級感がある。狭い袋状の場所にディスクが収納されている様は原始的でありながらもオシャレだ。
 
 紙ジャケからCDを取り出そうとする度に感じるあのワクワク感は、喩えれば茶道みたいなものだろうか?茶道における作法をググッてみると、和菓子を食す時はきちんと紙の上に乗せてから食すだとか、お茶を飲む時は「お点前頂戴致しますぅ」とお辞儀をして右手で茶碗を取り、左手に乗せてから茶碗を90度回してから飲むだとか、きちんとした作法が存在する。これは紙ジャケも似ている。音楽を聞くというだけで、まずカバーから紙ジャケをゆっくり取り出し、インナーがあればインナーを取り出し、紙製のジャケットもしくはインナーからディスクを傷が付かないように注意深く取り出す。ここまでの作業を約15秒かけて慎重に行い、「失礼致します」と言ってプレイヤーのディスクトレーにディスクを乗せる。まさに日本の伝統文化である。紙ジャケは日本発祥であると言われても納得してしまいかねない。ただCDを聞くだけでもこのようにひと手間加えることで、音楽を聴くという行為がより崇高なことになるというか、軽々しいものになり得なくなる。
 
 もう一つ魅力を挙げるとすれば、それはデジタル感のあるCDを一気にアナログっぽく自然的な存在にしてしまうところである。
 
 紙ジャケというのは、ほとんどが言わばレコードの復刻であり、レコードのジャケットを可能な限り再現しているのだが、そこにはレコードではなく、CDが入っている。「それがどうした?」と思った人はとりあえず一生寿司と焼肉が食べられない体になってしまえ。この紙ジャケットというアナログ感ある入れ物には、アナログなLPならまだしもデジタルなCDが入っているのである。それなのに、実際に見てみるとあまり違和感を感じない。ちょっと不思議ではないだろうか。
 
 CDというのはデジタルな存在である。そして通常、CDはプラスチックケースにカチャッとはめ込んで収納されている。この様は実に人工的でメカニカルで、プラスチックケースはCDというデジタルなものに見合ったものではあるような気がする。
 
 ではここで、このケースがひとたび紙になったとしよう。見た目はすっかり自然的で原始的になり、アナログに…なったかと思いきや、ジャケットの中に隠れているのはいかにもデジタルな円盤である。江戸時代に迷い込んできた令和人といった具合だろうか。一見、時代錯誤な感じがするのだが、紙のジャケットに入れられることによって、あれほどデジタル感に溢れて人工的だったCDがどういう訳か一転して天然素材100%!みたいな雰囲気を出し始める。原始的で自然的な紙ジャケットに合わせて、CDも原始的で自然的なものになる。原始的で自然的なものになると、一気に存在感が増して高級感が出る。紙ジャケの魅力は、こういうことを可能にする所だ。
 
 輸入盤の紙ジャケには特にドキッとする。というのも、輸入盤の紙ジャケは日本盤と違い、基本的にCDを入れるビニールの内袋がない。つまり、ディスクが裸のまんま紙製の収納袋に放り込んであるのである。これにより、さらに原始的な雰囲気が増して、CDがとてもアナログなものに見えてくる。この場合は高級感は少し欠けるが、存在感はいつにも増してデカくなる。

 一方、クラッシュのリマスターやイギーポップのリマスターみたいに、CDのレーベル面をレコードに模したデザインにして、記録面にまで黒い色素を使ってレコードに似せようとするような邪道も見られる。ダメだって、それは。あくまでCDというデジタル感あるものが紙ジャケと調和する様が良いのに、ハナっから「私、アナログです」って積極的に嘘をつかれてしまっては一気に萎えてしまう。

いいじゃないか、CDはCDで。ありのままの姿で紙ジャケの中に放り込んであるからこそ輝くのに。
 
 CDに限らず、無理して何か別の存在になろうとすると、かえってなかなかうまくいかない。自分にしかないものを大事にして生きる方が誠実だし、上手くいくのかもね。
 
 いや、でも紙ジャケはレコードを真似しているにも関わらず素晴らしい。あれはジャケットを紙製にすることによって、CDという在り方自体は誤魔化すことなくCDの存在感を大きくすることに成功している。つまり、自分を保ったまま他者のいい所を学んで取り入れることが出来ているということだ。自分を保つことに執着し過ぎて頑固になるのも良くなく、柔軟に学べることは学んでいった方が良いということか。
 
 紙ジャケというのは、人生の教訓にもなってしまう凄いものであった。

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