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サンデル先生の「正義」の授業EPS3-2〜私を所有するのは誰?〜

12EPS(各EPS前・後半)の全24回を週2回のペースでアップします。

第6回:EPS 3-2(後半)

Who Owns Me? (私を所有するのは誰?)

後半27:30~

前回からリバタリアンについて学んでいます。富の分配のための徴税に反対する主張。富の分配とは例えば自然災害の被害者の救済も含む。

ミルトン・フリードマン(リバタリアン経済学者の代表格)は政府の個人資産への介入を全否定する。パターナリズム(大きなお世話)なもの、例えば年金。老後の為の貯蓄は個人に任せるべき。政府がやることはない。

リバタリアンは、公的サービスを吸い取るような輩(free rider)をできるだけ排除するために、消防のようなものも民間にしようとする。

アーカンソーの民間消防サービス会社の話。会員制の消防サービス。メンバーシップの更新を忘れていた顧客の家が火事になり、トラックで駆けつけたが、近隣住居に火がうつらないように見張るだけで、消火をしない。現場で家のオーナーが「今会費払うから」と言っているのに、だ。

なぜそこまで来てるのに消火しないで見ているのか、との批判に「慈善事業じゃない。会費を払った会員の消火しかしないポリシーです。火事になってから払われても意味がない。車両保険と一緒です。壊れてから保険に入ったって、カバーされないでしょう。」とCEO。

これが民間サービスとしての消防。このような事は正当と言えるだろうか。ここがリバタリアンが攻撃する政府のパターナリズム(余計なお世話)と公益のぶつかる所。

富の分配。リバタリアンは富の分配としての徴税を間違いと言い、それは自己所有権の理念から来る。

自己所有権(self-possession, self-ownership):私と言う人間は私のみが所有するものであり、他の誰のものでもない。

収入の一部を強制的に政府が徴税する事は、私に労働の一部をタダでさせる事でありそれは強制労働。強制労働とは奴隷だ。それは倫理的に間違っている。

授業や、付属のウェブ上の討論で出た、リバタリアンへの批判は次の通り。

1。貧しい人の方が、お金の重要度が高い(よりエッセンシャルな必要性)
2。民主主義国家の議会が決める税徴収なのだから同意がある。強制労働や奴隷とは違う。
3。資産家は成功に際して社会に借りがある。それを社会に返金するのは妥当。

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三人のリバタリアン擁護派の生徒(ジョン、アレックス、ジュリア)を集めて意見を聞く。

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リバタリアン批判#1(貧しい人の方が金の必要度が高い)について。

(生徒#1、ジョン)
「いくら貧しい人が生きる為のものだとしても、個人の自己所有権を犯していいはずがない。慈善事業(米国ではすごく盛ん)やチャリティーがある。富裕層の自発的な寄付で賄うべき。」

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(生徒#2、ジュリア)
必要性(needs)は必ずしも、相応しさ(deserts)にはなりません。誰かが(金を)必要だとして、だから彼・彼女が(金を)享受するにふさわしいとはならない。」

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必要だから、は、あげる理由にはならない、との意見。

(サンデル先生)「貧しい人はマイケル・ジョーダンから徴収した税金で受けるサービスにふさわしくない、と言うことですか?」
(ジュリア)「そうなります。」
(サンデル先生)「台風カトリーナの被害者は?彼らは政府の救助を受けるのにふさわしくない、と言えますか?」
(ジュリア)「食べるものも住む場所もない、となるとちょっと話は違うと思います。その場合は本当に必要ですから。」


反対意見。

(生徒#3、ラウル)
「政府が税収入をどう使うかは民主的に選ばれた議会が決める事。」

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前出リバタリアン批判の#2、「民主的に決まっているから強制ではない」との反論。

ここから民主主義の話になっていく。(*民主主義はmajority rules and minority rightsと言って、決定は多数決で行われるが、少数派は言論の自由の権利を使い、意見を発して、賛同者を集めるチャンスがある。)

(ジョン)「議会が決めるといったってそれは多数派が少数派の権利を蔑ろにする事だ。真ん中80%の人間が所得トップ10%の金をどうやって下層10%に使うかを決める(なんておかしい)。」
(サンデル先生)「80%の意見を採用する事、それを民主主義と言います。あなたは民主主義に反対ですか?」
(ジョン)「そんな事はないけれど、それはでは多数派の圧政です。」


(生徒#4、アレックス)「自分の資産をどう使うかを強制される理由に多数派の意見だから、と言うのはおかしい。」

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(サンデル先生)「民主主義国家で、言論の自由があなたにはあります。あなたの主張で人々の賛同を仰いだらどうでしょうか?」

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(アレックス)「米国憲法で、議会は基本人権には立ち入れないと明記してあります。私的財産権を保持するのに、賛同者を仰ぐ必要はないはずです。」
(サンデル先生)「その主張であれば、こう言ってみたらどうでしょう?税収でなく、例えば信教の自由などの個人の自由を例に議論する。個人の自由を犯す権利は議会にはない!と言えば皆賛同するでしょう。」
(アレックス)「その通りです。」
(サンデル先生)「と言う事はあなたは、私的財産権を言論の自由や宗教の自由などと同じ重さの人権であると認識していると言う事ですね。」
(アレックス)「そうです。」


反対意見。

(生徒#5、アナ)
「私的財産所有権利と信教の自由は違うと思います。ビル・ゲイツが成功した背景には安定した社会があります。貧困層を援助する公的サービスがなければ犯罪が増え、そのために警察の費用がかかり、税率が上がってしまうかも知れません。この様に経済的権利はコミュニティー内で影響しあっています。一方、私が特定の宗教を信仰する事は誰にも影響を及ぼしません。」

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ここでサンデル先生はリバタリアン擁護三人に「貧しい人が子供に食わせるためにパンを盗む、病気の子供のために薬を盗む事は許されない事か。」と問う。

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(アレックス)「ダメですね」

(ジョン)「私的財産権の存在は認められている訳ですから、いくら理由が生き延びるためだったとしても、その侵害は許されないはずです。」
(ジュリア)「その場合は許されるのではないでしょうか。リバタリアンの論理を使っても許される、と説明できます。税徴収とは違います。その個人が自分の意思で盗む事。彼にも”自分の家族”と言う私的財産権がありそれを守る権利がリバタリアンの見地からもあるはず。」


リバタリアン批判#3について。(成功者は一人で成功したんじゃない。社会の助けがあったはず。その借りを返す意味の徴税。)

(ジュリア)「成功者は社会が金という形で成功を認めたからこその成功者である。社会は彼の努力や才能から既に恩恵を被っている。例えばマイケル・ジョーダンを助けたコーチやチームメイトはそれ相応の払いを受けているし、一般人はマイケル・ジョーダンのプレイを見て喜びや興奮を得ている。」

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反対意見。

(生徒#6、ヴィクトリア)「社会の一員として暮らすとき、個人の自己所有権というものが本当にあるのか疑問です。私が自身を所有し、自律的な判断で誰かを殺す事だって自己所有権のうちでしょう。でもそれはできない。社会の中に貧困で生きていけないような人がいるのに自分の財産全てを自己所有する事なんてできないはずです。周りの人達を考慮しないといけない。」

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(サンデル先生)「ヴィクトリア、あなたはリバタリアンの”自己所有権ありき”という設定自体を否定しますか。」

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(ヴィクトリア)「はい。社会で生きる限り完全な自己所有権はあり得ません。」

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キッパリ。


もしかして自己所有権が完全に存在しないかも、という意見はリバタリアン批判#4につながる。

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成功は運もあったはず。だとして、成功者の資産が全て彼らの努力や才能の賜物という訳ではない。彼らは彼らの資産全額に倫理的にふさわしくないかも知れない。

(アレックス)「それは関係のない事です。彼らは資産を自由市場で取引相手との同意で手に入れているのですから。」


まとめ

リバタリアンの思想は功利主義への反論。五人を助けるために一人を殺していいのか。周りのために誰かを「使って」いいのか。いや違う。私たちは自分自身のオーナーである。と。

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それが自己所有権。

そこから徴税は強制労働、という理論が生まれる。それを提唱したロバート・ノージックは自己所有権の観念を自分で考えた訳ではない。英国哲学者、ジョン・ロックの思想を受け継いでいる。

ジョン・ロックは「”もの”に労働を加えるとそこに財産権が生じる」とした。なぜか。私たちは自分の労働を完全に所有しているから。なぜか。私たちは私たち自身を所有しているから。

今回授業内の討論で自己所有権自体を否定する意見が出た。そこを考察するために、次回はジョン・ロックについて学んでいく。



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