
サンデル先生の「正義」の授業EPS3-1〜選択の自由〜
12EPS(各EPS前・後半)の全24回を週2回のペースでアップします。
第5回:EPS 3-1(前半)
Free To Choose (選択の自由)
前回の授業で、功利主義の改正を試みたジョン・スチュワート・ミルの
A: 功利主義でプラス点となる快楽(pleasure)に質的な高低があるという主張
B: 正義や権利についての見解
を見てきた。
クラスの生徒は大多数シンプソンズが「好きだ」と言ったが、高度な快楽はどちらかと聞かれると、シェイクスピアだと言った。ミルは快楽の上下は教育や文化など、外的要因に左右されない絶対的な基準であるような示唆をしたーーー教育を受けていなければシンプソン、受けていればシェイクスピアと場所によって変わる訳でなく、ー律にシェイクスピアが高度だとした。じゃあそれはどうやって決まるのか?
一方、正義や権利については「最高の敬意を払われるべきルール」であり、その理由は功利主義の観点から、長い目で見た時、最終的に最大の効用(お役立ち)があるから。
そうだろうか?
それが他人を尊重する正しい、唯一の理由だろうか?
例えばEPS1-1の医者が、五人の患者を救うために一人の健康な男の臓器を取り出して殺さないのは、「そんな事したことが後でバレたら評判がガタ落ちになる」からだろうか?
それが正しい理由だろうか?唯一の理由だろうか? いくら多数の命を救うためと言え、誰かを使用していいんだろうか?
他に理由があるんじゃないのか?
ミルによれば2つの嗜好の価値の高低は、「二つを経験した人が必ず選ぶ方が上」と言うルールだったはず。しかし実際に生徒のほとんどはシンプソンズを選んだのだ。じゃあシンプソンの方がシェイクスピアより「高度な快楽」になるのかと言うと、そうではない。シェイクスピアの方が高度だと言う理由は功利主義の外にありそうだ。ミルは正義や人権の崇高さも功利主義の中で説明しようとするが、矛盾が生じている。
功利主義自体を否定しなかったミルも、分かりやすい「快楽←→痛みゲージ」の外にある、何らかの価値を図らずして匂わせてしまっている。
功利主義のプラスマイナスのゲージの外にある、絶対的な価値のもの。
ミル自身も持っている「人の命を使ってはならない」と言う直感は本当に「それは最終的に役に立たない」からなのか。
これからその、「正義・人権には効用以上の意味がある」と言う概念を学んでいく。社会の役に立つとか立たないとか、嗜好の総数などでは介入できない個人の権利があり、司法や政法はそれに基づいて決められなければならないと言う概念。
その一つ。リバタリアニズム。
リバタリアニズムでは個人の権利で一番重要なものを「自由」とする。社会に「使用」されるのを断固として拒否する。我々は個々の独立した存在だからだ。
自分の選択で自分の好きなように生きる。他人の同じような権利を損なわない限り。ロバート・ノージック、リバタリアン哲学者は「私たち個人の自由の権利は政府が介入できるものではない。」と言った。
リバタリアニズムが反対する政府の介入3種。
1。パターナリスト的な(大きなお世話)な法制度ーーシートベルト法など。安全なのは分かるけどその情報さえもらえれば義務にする事はない。余計なお世話だ。自分たちを自分たちから守るための法は要らない。
2。倫理を押し付ける法制度ーー同性愛規制など、モラルや美徳を法で押し付けるのはおかしい。誰にも迷惑かけてないのだから、放っておくべき。
3。富の再分配の機能としての税金ーー労働で得た資産を持って行くのは強制であり権利の侵害。政府(多数派)による泥棒である。誰もが均等にサービスを受ける国防・警察や司法の運営の為の徴税はアリ。
サンデル先生はこの中の特に3番の富の分配について語る
米国は民主主義の発展した国の中では最も不平等な国。
富の70%は人口上位10%に集中している。これは正しいと言えるだろうか。個人資産の正当性は以下のもので決まる、とノージックは言う。
1。資産を作るために使った資源が正当に入手されているか。(初期保有)
2。自律的な同意の元で行われた取引で得た資産かどうか。(自由市場)
最初のものを正当に入手し(盗んだりせず)、それを自由意志の中での取引で価値を高めて得た資産ならそれは正当な資産だと言うことになる。
さあ、これ、いいですかね。
実際の富豪の例を出して検証して行きます。
アメリカの1番の富豪は誰でしょう?
ビル・ゲイツ。資産$40B(4兆円)。
クリントン時代に$25K(250万円)以上の大型寄付者はホワイトハウスのリンカーンベッドルームに呼ばれて一泊できる、などと言う話があった。その寄付金の中央値を使って誰かが計算した所、ビル・ゲイツの資産があればそのベッドルームに毎日6万6,000年泊まることができる。
マイクロソフトの立ち上げから毎日14時間働いたとして、彼の秒給(時給じゃ無くて)は$150(1万5000円)以上。と言う事は彼が道で$100札を見つけても、それを拾わない(1秒無駄にしない)方がお得だと言う事になる。
それ程の富、と言うこと。
そこまでの富豪が食べ物も、住居も、教育もない層に援助するのは当たり前と思わないか、と先生は問う。功利主義なら真っ先に課税するだろう。本人が気にもしない額が、多くの人を救えるのだから。
リバタリアンはダメだと言う。個人の資産を強制的にもぎ取るのは泥棒だからだ。
次、マイケル・ジョーダン。彼のある年の収入はチームとの契約金と、CMエンドース合わせて$78M(78億円)。
彼の収入の3分の1を、貧民層の教育・食糧・住居のために税として徴収するのは、彼の個人の権利の侵害である。とリバタリアンは言う。この意見に反対の人。
(生徒#1)
「マイケル・ジョーダンのような成功者は逆に社会からより多くの恩恵を受けていたと考えるべき。その恩返しとして税金は払うべきと思う。彼も”頑張った”と思うけど、同じくらい努力して例えばクリーニング屋をやってる人だっている。彼の成功は彼の努力のみで得られたものではないと思う。」
(生徒#2、ジョー)
「スケボーをコレクションして100枚持っているとする。百人のコミュニティーの一員だとして、政府がやってきて皆に分配するために99枚持って行ってしまうとしたらそれは正当とは言えない。ボートの話の時のように生きるか死ぬかの時に個人の人権が犯される事はもしかしてあり得るかも知れないけれど、それも不当である事には変わりません。」
資産を99%持っていく、と極端な例を作り不当性を主張しています。先生はそこをつきます。
(サンデル先生)「マイケル・ジョーダンの収入33%を、誰かの飢餓を救うために徴収するのも不当ですか。それを泥棒と呼びますか?」
(ジョー)「はい。そう思います。それが必要悪であることもあるでしょうが、悪として位置付ける事は重要です。」
(サンデル先生)「泥棒なんですね?」
詰め寄るサンデル先生。
(ジョー)「はい。」
。。。沈黙。。。(笑)
(サンデル先生)「ジョー、どうして泥棒なんですか?」
(ジョー)「正当に入手した資産を無理やり持っていくのは泥棒です。」
反対意見を生徒から募ります。
(生徒#3)
「もし富の分配を政府ができない社会ならば、均衡なスタートラインが引けない社会になります。」
富の分配がなければ機会が平等にならない、と言うことです。
まとめ
ノーザックは徴税を泥棒どころか、更に酷いことだと言います。
税金で徴収される収入は労働で得るものですから、収入の徴収は労働の徴収であり、タダ働きを市民に強いる事になる。強制労働です。それは何かと言うと、奴隷だ、となる。
政府が税金を徴収すると言う事は私の一部を政府が持っていると言うことになる。自分が自己を完全に所有していない。私は私だけのものである、と言う自己所有権
(self-possession, self-ownership)を政府に侵害されることだと。
権利と言う概念を真剣に考えるなら、
自分たちを(功利主義で見たように)単なる嗜好の総数として捉えないなら、
私は私と言う人間の唯一無二の所有者である
と言う自己所有権の理念に辿り着く。
一人の男を殺して、その臓器を使って五人の患者を助けないのは、その人の存在は彼自身のものであるから。彼は社会に利用されるために存在しているのではない。
私たちには自己所有権がある。
だから政府にシートベルトを義務付けられることもなければ、どうやって生きるか指示されなくても良い。そして富の分配のために、貧民を助けるためであっても、台風カトリーナの被害者の支援のためでも、徴税は不当である。寄付を請うのはいい。しかし徴収はダメ。
リバタリアンのこの主張に反論するなら、税金の徴収は強制労働であると言うノージックの自己所有権に関する思考の連なりを打破しないといけない。
次回、リバタリアニズムの擁護論と反論を生徒から聞いていく。