もうこんな悲劇は繰り返したくないって話⑴
らむーるです
今日は私にとってすごく大切な推し、いや、推しって言葉じゃあらわせない素晴らしい方のお誕生日でした。
阪神タイガース 背番号24
横田慎太郎さんです。
お空の球団に移籍していなければ、29歳のお誕生日を迎えるはずでした。
去年、なんの前触れもなく、お空の球団に移籍しました。
横田さんを知ったのは就活に苦しんでいたときでした。
たまたま、ネットで見たツイートに彼のことが書いてありました。
「奇跡のバックホーム?」
聞けば彼は、代打の神様こと桧山進次郎さんの番号を受け継ぎ、将来を嘱望された、大型大砲と期待されていた。あのゴジラこと松井秀喜さん以上の逸材と言われていた。
しかし、キャンプ中から、目に違和感を覚え、周りも気がつきはじめたころ、病院に行き、診断結果は
脳腫瘍
しかし、横田さんにとってショックだったことは
野球のことは一回忘れてください。
と医師に言われたこと。
その後、くじけることになんど見舞われても、ファンや当時監督を務めていた金本知憲さんやスカウトだった田中秀太さん、ご両親やお姉様の支えにより、寛解
その後、育成契約を結び、一軍のグラウンドで24番をつけてプレイすることを目標にリハビリやトレーニングを頑張った。当時、球団は「横田が復帰するまでは24は空ける」と発表。
その甲斐あってか、横田さんの体力は以前に近い形まで回復。
しかし、目の後遺症だけは治らず。。。。。
横田さんは24歳の若さで引退を決意
球団は二軍の試合で横田選手の引退試合を行うと発表
8回表、センターは島田海吏選手に替わり、横田慎太郎選手に
横田さんの目は見えていない
後遺症がまだ残っている。
2アウト二塁。相手のソフトバンク、逆転のランナーが2塁に。
バッターの打った打球はセンターにいる横田さんの方向に。
横田さんはそれをキャッチし、ホームベースに投げた。
そして捕手がつかみ、ランナーはタッチアウト。
逆転を阻止した。
目がほとんど見えていない中で、奇跡のようなことをやって見せた。
諦めずに頑張った結果が、あんな奇跡を呼んだんだと、とても感動した。
それに励まされて、私もまた頑張る決意を固めた。
しかし、
現実は上手くいかなくて。
大学4年の3月。卒業式も近かった。
内定はない。
「もう、私に就活なんて出来ない。」
「もう、フリーターでいい」
完全に自暴自棄。
その頃、母に勧められて、非正規から正社員になることを提案された。
それにシフトしても上手くいかなかった。
そんな時、
間宮祥太朗さん主演で、
横田慎太郎さんの「奇跡のバックホーム」のドキュメンタリーがやると聞き、視聴した。
続く。