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「民主的」と「医療的」~「だから、もう眠らせてほしい」をよんで~

*この感想はネタバレ要素を含んでいるため、まだ著書を読んでいない方はお気をつけください。

安楽死を考えるうえで私が感じていることが一つある。それは、安楽死を考える人は死生観が成熟しているのではないかということだ。
私は思春期に「自殺」の二文字が頭をかすめた経験がある。わりと多くの人が経験しているのではないかと思うのだが…どうだろうか?その時は人間関係のことや自分を認められない気持ちからひどく落ち込んでいる心境であった。

「いっそ死んでしまったら楽なんだろう」
しかし簡単に踏みとどまることができた。親や周りの人が悲しむからとか、そういう理由ならカッコいいかもしれないが、単純に「死ぬのがめちゃくちゃ怖かった」というのが正直な理由だ。怖さからすぐに冷静さを取り戻し、「なんて恐ろしいことを考えていたんだろう」とか「死ななくてよかった」と生命の尊さを噛みしめた。その後からだんだんと家族や友人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。思えばその当時は「生と死」についてじっくり考えたことなんてなかった。

 安楽死を考える人は“死ぬのは怖い”という、そういった当たり前の感情を超越しているのではないか。冷静な状態で「自らの死」を選択肢に並べる。近いうちに死ぬ可能性が高い状態や、希望が失われた状態、苦しすぎる状態ではそういう想いにならざるを得ないのはなんとなくわかる。しかし、今の私では本当の意味で理解することはできない感情である。

死を真正面からみつめるからこそ、生きている時にすべきことに意識が向いたり、死ぬまでの過程を想像して、苦しみを回避する方法を探したりするのだと思う。その方法の一つが安楽死なんだろう。
この本に登場するお二人もそうだったように思う。

「だから、もう眠らせてほしい」がnoteで連載され始めたころに、著者の西先生や社会的処方研究所の存在を知った。広い視野で医療を捉えている感じがたまらなく自分好みで一瞬のうちに惹かれた。本書については「安楽死」がテーマであることに恐る恐る興味をもち、note版は途中まで読んでいた。書籍になるということを知ったとき、「これは本で読んでみたいな…」と思い、noteで読むのを中断しネットで予約注文をした。
私は少しでも興味が薄れると本を読み切るのが苦手な人間であるが、本書に関しては「食い入るように」読み切ってしまった。各章ごと色んな方向に脳みそを揺さぶられたのだが、私が完全にKOされた文章はこれである。

「いえ、私は、安楽死制度はやはりあったほうがいいと思います。それは民主的な一つの方法として」
第12章『10日間の涙』より。

この章でユカさんは穏やかな様子と病状悪化を繰り返している。西先生が入院時に提案した対話の時間や持続的深い鎮静に踏み切るラインを決めるなど、「医療的」に見るととても美しい緩和ケアが展開されているようにみえた。その結果、ユカさんは「この病棟に来てよかった」とも口にしている。しかし、西先生からの最後の質問「では今は、安楽死制度はなくてもよいと思われていますか?」に、上記の言葉で応えたのである。

「民主的な一つの方法として」
これは12章の最後の1文であり、本書全体を通しても「シメ」の文となっている。ページをめくった先に、その最後の1文だけが書かれ、この章が閉じられている。民主的とは、きっと自由で平等なことを意味している。

私は緩和ケア病棟の中で仕事をさせていただいていたことがある。この第12章には、病棟でのカンファレンスの様子がリアルに描かれていて、当時の光景が思い出された。
前章までは、2人の心の動きや西先生と誰かの対談の内容といった描写が多い。あまり「医療感」が感じられない文章が多い。一方で、第12章のカンファレンスの描写は急に「医療感」が強い感じがした。「あ、これは医療の話だったな」と思い出すくらい際立ってみえた。

「民主的」と「医療的」
これは対になっているのではないか…。

本書を読んでいて、普段は「馴染んで」いたはずのカンファレンスの場面がとても無機質に感じられた。おそらくそれは冷静さの裏返しだろう。感情と切り離した冷静さが現代医学では必要になる。そうでなければ救える命が救えないことは多々あるからだ。しかし、本書ではそれがとても無機質にみえ、その人の自由とは切り離された印象をうけた。今の医療は「民主的」じゃない側面が強いと感じた。

「安楽死を考える人は死生観が成熟している」
医療的にいうと正しいとされることはある。しかし、大半の人の死生観は未成熟であると思う。自らの死を正面から見つめる機会がそれを成熟させていると思う。医療者や周りの人は、その領域に踏み込めないことをまずは受け入れるのがよいのかもしれない。格闘技の熱狂的ファンでもリングの上には上がれないのと同じように。
医療者は「医療的」ではなく、一人の人間として「死」を真正面から見つめて考えている人の「成熟した死生観」にしっかりと耳を傾けるしかないのではないか。

ここでは「医療的」=「無機質」で民主的ではないように表現した。しかし、「民主的」と「医療的」を対義語にしたくはない。医療はもっとも民主的であるべきものだと思うからだ。たぶん医療に関わる人なら誰もがそう思っているだろう。いや、思い込んでいるだけかもしれない。

本書を読んで「無機質な医療からの脱却」が私の中で一つのテーマになった。
そのためにこれからすべきこととして、本書にも書かれているが、「緩和ケアの普及・文化づくり」「医療の敷居を下げる」「みんなの居場所づくり」など、「死にたくなくなる手立て」をみんなで作っていくことが大切だと思っている。

どの年代の人でも、どんな心身状態の人でも「生きていたい」とか「この場所にいたい」って感じられる世の中であってほしい。無理なく存在できる場がみんなにあってほしい。
私が生きているうちにできることはわずかだろう。でもなにかきっかけになる活動に関わることができたらいい人生だったと思えるかもしれない。そう思えたら過去の愚かな自分を本当の意味で叱ってあげることができそうだ。


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