[リクルート事件•江副浩正氏のゴルフ場[メープルカントリー]のプレオープンはチャーター機で招待客を運びました🤣🤣🤣]
銀座日航ホテルの地下にあったバー「カナリー」で飲んでいると、リクルートの江副社長と仲の良いNのグループがはいって来ました。
僕の顔を見るとNに
「菅ちゃん、明日、朝7時半に羽田空港に来られる?」と聞かれました。
僕が「何でですか?」と聞き返すと「来れるならゴルフ・バッグ持って集合だから」と言われました。
彼らと飲んでいる時も「来ればわかるから」の一点張りで理由は教えてくれませんでした。
目上の方で、いつもお世話になっていたので「わかりました」とご返事して、それ以上何も聞きませんでした。
翌朝、羽田空港の待ち合わせ場所に行くと100人以上のゴルフ・バックを持った紳士達が集まっていました。
その集団に近づくとNに
「菅ちゃん、飛行機は貸し切りだから、今からチェックインしてゴルフ場のある飛行場に行くから」
「江副がゴルフ場オープン前に、コースをお披露目してコンペをやり、パーティの後にまた貸し切りで羽田に帰って来るから」
と言われました。
「そうなんですか? わかりました」と答えました。
「バブル時代」は、こんな事も当たり前だったのだと、今でもこの事を思い出します。
飛び立った飛行機は岩手県・花巻空港に着陸しました。
バスでゴルフ場まで行くとNは
「俺たちはヘリコプターで、ゴルフ場を空から見るから一緒に行こう」と言われました。
Nと一部のお客様だけがプレイ前にヘリコプターで上空から各コースの説明を受けることになっていました。
僕のような若造には、身分不相応だと思いましたが、Nが早くヘリコプターに乗るように促したので乗り込みました。
ヘリコプターに乗るのも、空からゴルフ場18ホールを見るのも初めての体験でしたが
こんなにもゴルフ場のコースが美しいと思ったことはありませんでした。
僕はNと一部上場会社のK専務と同じ組でした。
NとKは仲が良く親戚関係で、よく銀座で一緒になるので気軽にプレーできると思ったのですが、Nはゴルフのハンデがシングルで、ドライバーも距離がでるし、アプローチもパッティングも完璧に近く、僕は力んでスコアはメロメロになりました。
このゴルフ場は3年余りかけて造られた元世界アマ日本代表の金田武明氏設計で、各ホールにニックネームが付けられた当時の代表的なゴルフ場のひとつです。
コンペの後はパーティになりましたが、豪華な賞品の数々にはビックリしました。
パーティでは江副社長の大好きなクラシックの生演奏がありました。
料理も豪華でシャンパンとワインも銘柄もので、出席者全員大満足な顔をしていました。
お客様は皆、飛行機が待っていてくれるので時間を気にせずに歓談していました。
帰り際には各人にカシミアのセーターがお土産として配られました。
今では、この豪華さは体験できないでしょう。
貸し切りの飛行機で来るこの事態、バブル時代を象徴する一コマでした。
また、ある時バー「カナリー」で飲んでいると、いつものバーテンダーに
「菅さん、自分は近くここを退職することになりました」と告げられました。
僕は「辞めちゃうの? 何処か他に移るの?」と聞いてみました。
彼は
まだ詳しい事は言えませんが、同じ銀座のバーですとだけ教えてくれました。
その後、Nがよく飲んでいるカウンターのバーに行くと、Nが飲んでいて
「菅ちゃん、隣に座れよ」といってきました。
Nは
「今度、江副の新しく完成するビルに、リクルートの関係者だけの会員制のクラブを作るんだよ」
「カナリーのバーテンダーを引き抜いて、彼にやらせるそうなんだ」
僕はさっき「カナリー」のバーテンダーから聞いたことは言わずに
「そうなんですか」と答えました。
Nは
「菅ちゃんもメンバーに入っているから、会社に案内状が届いたら、入会金だけ振り込んでね」
「出来たら、そこを待ち合わせ場所にしたらいいよ」と言いました。
僕は「何だ! 「カナリー」のすぐ近くじゃないか」と心の中で思いました。
僕は仕事柄、銀座で接待したり飲むことが多かったですが、年の離れた方々と知り合う機会が多く、不思議とその方々に可愛がられました。
ですから「バブル時代」には、普通では体験できない事を経験しました。
これは僕の持って生まれた宿命のようなものなのでしょう。
それから少したった1988年に世間を騒がせた「リクルート事件」が起きてしまいます。
少し前までは、絶頂の真っ只中にいた江副社長に、こんな事が起こるとは、誰か考えていたでしょう。
人生何が起こるか全くわかりません。
事件が起こると世間は冷たいもので、江副社長が悪の象徴のようにマスコミが騒ぎ立て
江副社長の功績は無視して悪い所ばかり、報道します。
父が「共和製糖事件」を起こした時と全く変わりません。
江副社長が作った「会員制クラブ」も、その後無くなりました。
それ以来、江副社長のお顔をみることはありませんでした。
Nとは、その後もよく飲みましたが、余り江副社長の話はでませんでした。
僕は「リクルート事件」のことは、よくわかりませんが、父菅貞人の一連の黒い霧疑惑の一つ「共和製糖事件」を思い出さずにはいられませんでした。
世の中で起こる経済事件には、必ず表と裏があります。
世間は往々にして表に出ている真実だけを追い求め、裏に隠されたもうひとつの真実を追求しないことが多く、その裏の真実は闇に葬り去られてしまいます。
複雑な経済事件は、裁判で明らかにされない部分も数多く存在します。
表の真実だけわかれば良いのかもわかりませんが、隠された真実にも目を向けることが大切だと思います。
2013年に天国に旅だたれた江副社長も亡くなった父のように、沢山、話したかったことがあると思います。
僕も将来、天国に召される時には、父菅貞人と江副社長と思う存分心のうちを語りあいたいと思います。