
波乱の人生を歩んだ女優・淡路恵子の思い出~事実婚、再婚、萬屋錦之介の破産と離婚の果てに。
女優・淡路恵子と言っても、ピンと来る方は、もう少ないと思います。
最初に、簡単な彼女の略歴を書きます。
1949年黒澤明監督の「野良犬」で、スクリーン・デビュー。
1950年に「松竹歌劇団」SKDに入団。
女優・草笛光子と同期で、歌と踊りで大活躍。
1953年 フィリピン人歌手 ビンボー・ダナオと事実婚。
1965年 離婚。
1966年 中村錦之助(後に萬屋錦之介と改名)と再婚。
結婚後、女優業を引退。
1960年~1966年
森繁久彌の「社長」シリーズや絵「駅前」シリーズにレギュラー出演。
1982年 萬屋錦之介の「中村プロダクション」が、多額の負債を抱えて倒産。
住んでいた豪邸を売却。
全ての財産が消滅。
1987年 萬屋錦之介と離婚。
1987年 「男はつらいよ」知床慕情で20年ぶりに女優復帰。
このような波乱の人生を歩んだ女優・淡路恵子は、夫の事業の破産後、六本木・瀬里奈本店の近くにあった「クラブ・シナーラ」でママとして雇われました。
淡路恵子がママになったという噂は、瞬く間に銀座にも知れ渡りました。
僕も銀座の「クラブ姫」で飲んでいる時、その話を聞き、しばらくしてから「クラブ姫」の社長に紹介してもらい、「クラブ・シナーラ」に行くことになりました。
「シナーラ」はこじんまりした素敵なお店でした。
初めて見た淡路恵子ママは、小粋にタバコをくわえ、フウっと吹き出したタバコの煙の下に、少し短めのワンピースからキリッと引き締まった脚が組まれた姿は、まるで
映画のワンシーンを見ているようでした。
流石、大女優の貫禄だなと思いました。
客層は年配の紳士が多く、医者や実業家が多かったと思います。
何かお客様の方が淡路恵子ママに、かしずいているような感じでした。
席に通され、ヘネシーVSOPをボトルで注文しました。
何か凄く緊張してしまい、恵子ママが挨拶に来た時は、頭が真っ白になってしまいました。
ヘネシーの水割りを一気に飲み干し、酔いの助けを借りて、会話を始めました。
「クラブ姫」の社長の紹介だったので、「クラブ姫」の話や銀座の話をしたような記憶がありますが、余り覚えていません。
やはり大女優だけあって話も面白く、当たり障りのない話をして、その日は帰りました。
それから何回かお邪魔したある夜、恵子ママに思い切って
「銀座に昔から、行っている寿司屋があるんだけど、ご一緒しませんか?」
とお誘いすると
「いいわよ」と即答してくれました。
当時、銀座の寿司屋「なかた」に行っていたので、「なかた」に行くことにしました。
待ち合わせ場所は、今はもうありませんが、銀座・日航ホテルの地下にあった
「バー・カナリー」にしました。
「カナリー」のカウンターで恵子ママを待っている間、少しドキドキしていました。
約束の時間を、少し過ぎて、恵子ママが颯爽と現れました。
やはり恵子ママのオーラで、バーの中は一種異様な雰囲気になりました。
店中の視線が彼女に注がれる中、恵子ママは僕の隣りに座り
「お待たせ」と一言いって、タバコを取り出し、美味しそうにふかしました。
大女優の貫禄でした。
彼女は愛煙家で知られており、タバコの吸い方は、堂に行っていました。
カクテルを一杯飲み、「カナリー」を後にして、並木通りを歩きながら、昔の銀座の風景を説明してくれました。
恵子ママの昔話を聞きながらの「なかた」までの道のりは、いつもより短く感じられました。
当時「なかた」は「すずらん通り」の美術商「相模屋」の2階にありました。
「なかた」のカウンターで、お好みの鮨を摘みながら、
「私が萬屋錦之介と結婚する前、ビンボー・ダナオと結婚していたのは知っている?」と聞いてきました。
僕が「知っています」と答えると
「錦之助とビンボー・ダナオとの違いがわかる?」と聞いてきました。
僕は勿論「そんなこと、わかりませんよ」と答えました。
すると彼女は魅力的な笑みを浮かべながら、こう答えました。
もう大分、昔のことなどで、どちらがどっちとは覚えていませんが
「錦之助は鰻は食べれるけど穴子は食べれないの」
「ビンボー・ダナオは穴子が食べれて鰻がたべれないの」
「おかしいでしょう」と言った彼女の表情は、あどけない少女のようでした。
また彼女は、共演した役者さんの面白いエピソードも話してくれました。
楽しい食事は、あっと言う間に過ぎ去り、「シナーラ」に同伴で入りました。
お店にいたお客様は、何で、こんな若造が恵子ママと同伴したんだと言うような目で
僕を見ていました。
お店で2時間ほど飲み、お店を出る時、彼女は外まで送ってくれました。
まだ当時、瀬里奈の近くには駐車場がありました。
そこで思わず彼女にキスをしてしまいました。
恵子ママは
「菅ちゃん、私、年下の人とキスするの初めてよ」と言われました。
今でも、その時の光景は脳裏に焼きついています。
その後、旦那様の萬屋錦之介の中村プロダクションが倒産して負債を抱え、女優の合間に「シナーラ」のママをしていることを知りました。
彼女が微塵にもその事を感じさせないのは、彼女の意志の強さと大女優としての自負の強さだと感じました。
恵子ママは1987年に萬屋錦之介とも離婚しました。
その後、映画やテレビで活躍して2014年に他界しました。
このエピソードを書いた後、プライム・ビデオで、彼女が20年ぶりに映画に復帰した
「男はつらいよ」知床慕情を観賞しました。
恵子ママがタバコを吸うシーンが2度ありました。
やはりタバコが似合う女優さんだなーと思いました。
主演の渥美清さん、出演者の三船敏郎さん、淡路恵子ママも、今はもういません。
映画を見終わった後、淡路恵子ママのタバコをカッコよく、吸う姿と当時の「バブル時代」に起こった出来事がしみじみと思い出されました。
淡路恵子ママのご冥福を改めて
お祈りします。
天国でもタバコをたのしんでいるのかなー!!!
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