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父•菅貞人の服役中に親分J.N.は父親代わりになってくれた‼️‼️‼️

ホテルNの高級スポーツクラブGのラウンジで、くつろいでいると「菅さん」と声をかけられました。

そこにはNが立っていました。

続けて「お父さん今、静岡なんだって俺もあそこよく知ってるよ。」

   「お父さん明治大学だろ。俺もそうなんだ。いろいろ縁があるね」

                       と言いながら隣に座ってきました。

それから父の話や静岡の話をしてくれました。

最後に
   「何かあったら、いつでも俺に相談してくれよ」
   「お父さんがいない間、俺が面倒みてあげるよ」

                     と言いながらその場を立ち去りました。

その後は顔を合わせるとお互いに挨拶をするようになりました。

父は昭和40年代に世間を騒がした一連の「黒い霧事件」の1つであるK製糖事件で逮捕され、最高裁まで争ったのですが主張が認められず、静岡刑務所に収監されました。

Nは「蛇の道は蛇」で知っていたんでしょう。

それから少したって家の近くを歩いていると黒塗りの大きなキャデラックが横に止まりました。

何かなと思っていると窓がスウっと空いてNが手を振っていました。

丁度その日は競馬のクラシック・オークスの日で、僕は競馬好きなので馬券を買いに行った後でした。

Nは「「オークス」もう買った? 買ったなら事務所でゆっくり一緒に見ないか?」
と誘われました。

僕は「いいですよ」といいながら、彼のキャデラックに乗り込みました。

彼の西麻布にある事務所は廊下が狭く何回か曲がって、やっと彼の部屋に着きました。

大きな和室に大きなテレビが備えつけられていました。

部屋に着くまでの間、何人もの入れ墨をいれた身体に晒し(さらし)を巻いた若い衆が挨拶してきました。

部屋に上半身裸の若い衆がブランディとグラスに氷を持ってきました。

ちょっと緊張していましたがブランディを一口飲むと少し落ち着きました。

オークスが始まるまでの間、父の話やスポーツクラブの話で花が咲きました。

オークスが終り僕が「これでおいとまします」と言うと、彼は笑顔で「また遊びにおいでよ」言ってくれました。

家に帰ってから急に酔いが回ってきました。

ある日、銀座のクラブ・「ジャンヌダルク」で飲んでいると、黒服が「ルイ13世」の超高級ブランディを持ってきました。

黒服はニヤっと笑って「向こうの席の方からです」と「ルイ13世」をテーブルに置きました。

「何これ!!! こんな高いもの貰えないよ。誰からなの?」と黒服に問いただしました。

黒服は「自分はむこうの席のお客様から頼まれたので、いただいてもらわないと困ります」
「菅さんがよく知っている方ですよ」と付け加えました。

僕は「わかった。僕が直接、お断りしてくるよ」と言いそのお客様の席に向かいました。

何とそこにはこちらに笑みを浮かべているNが座っていました。

「菅さん、俺だよ。 まあここに座って一緒に飲もうよ」と言われました。

Nでは断れないので、座ってから「ルイ13世」は結構です」と断ると
Nは「じゃあ、そのボトル、オープンして今、一緒に飲もうよ」と言うので
僕は「わかりました。ありがとうございます」と言って「ルイ13世」の封をきりました。

Nは「菅さんの係りEなんだって? 俺も彼女が係りなんだ。あんたと兄弟だね」と言い乾杯しました。

そるからNと係りのEと痛飲しました。

話題は何故お互いの係りがEになったかということでした。

盛り上がり過ぎて酔っ払ってしまいました。

帰りはお互い西麻布なのでNが車で送ってくれました。

世間は繋がるものですね。

それからスポーツクラブでNとよく話すようになりました。

そんなある日、Nと飲んでいる時、珍しく彼は酔った勢いで

「菅さん、俺達ばかりに汚い仕事をさせて、自分は善人面して命令ばかりして、儲けている奴が多いんだ」

「俺達だって人間なんだよな」と言ってきた彼の鋭い眼孔の中に、何とも表現できない寂しさが宿っていました。

バブル時代は地上げの厳しさが、いろいろと噂されていたので、実際にそんな事が裏で行われているんだなと感じ、凄じい時代になってしまったんだ と思いながらグラスのブランディを一気に飲み干しました。

後日、Nが会長の為に裏の仕事をしていると言っていた人物が同じスポーツクラブのTだと気づきました。

それから何年かたちNが肺がんで入院してしまいました。

クラブを代表して誰かにお見舞いに行ってもらう事になりました。

結局、皆、余り行きたくないので、僕と紀尾井町で中国料理店の専務が行くことになりました。

板橋にある病院の病室に入るとNは少し痩せていましたが元気そうでした。

Nは「後、2週間ぐらいで退院するから盛大に飲み会をやろう。菅さんえも必ず出席してくれよ」と言うので「盛大にやりましょう。専務のお店でやったら、どうですか?」と
提案するとNは「それがいい!」と言って同意しました。

そしてそこで彼のお世話をしている秘書役を紹介してくれて
「こいつに何でも言ってくれ。全て俺がいない時でも彼が対処してすれるから」
 と彼に支持していました。

でもその後盛大な飲み会が開催されることはありませんでした。

肺がんの転移はあっという間に広がってしまうんですね。

Nの葬儀は祐天寺のお寺で行われるので、仲のいい共通の係りのEと一緒に参列することにしました。

当日の祐天寺の周辺は黒色の車で大渋滞になりました。

組の若い衆が交通整理していましたが、親分衆の車を最優先させるので、一般の車は全然動けません。

警察は見てみぬふりをしていました。

当時は取り締まる法律もまだ無かったと思います。

僕達は徒歩で怒号が飛び交う中、葬儀場に入っていきました。

時間はまだ早かったのですがお焼香をする場所に行くと、前の方に通されてしまいました。

Eに「前過ぎない」と問うとEは「後ろに行きましょうか」と答えたのですが、後からドンドン人が入ってきて動けなくなり前に座ることになりました。

前に座ったのは大失敗でした。

後から来る人達は大迫力の偉い人ばかりで圧倒されました。

彼らは美人を連れているからなのか、何であの2人あそこに座っているのか不思議そうにジロッと鋭い眼で見る人ばかりでした。

ずつと何者だと言う疑念の視線をずっと浴びせられているような気がしました。

Eと「早く終わるといいね」と目を見つめ合いました。

何とかお焼香を済ませて帰ろうとしたのですが、EがNにも奥様にも大変お世話になったので出棺で鳩が飛ぶまで居ようと言うので最後まで葬儀場にいることになりました。

最後まで残り、Nに分かれを告げました。

それからしばらくして銀座並木通りを歩いていると、お供を2人連れた目つきの鋭い人が近寄ってきて「先日はご苦労様でした。Nの葬儀に出席していましたよね」と話しかけられました。

僕が「はい」と答えると彼は自分の名刺を取り出し、「お名刺いただけますか」と言ってきました。

断るとまずいと思い、僕も名刺を差し上げました。

すると彼は「今日はどちらに行かれるのですか」と聞いてきたので、成り行きで「クラブTに行く所です」と答えてしまいました。

「そうですか」と彼は言い「またお会いしましょう。では失礼します」と言ってその場を後にしました。

僕はクラブTに行き、Tの社長にさっき道で起きたことを話すと

「彼らは肩書きがある人と付き合いたいんだ」

「でも何か頼み事をすると、後でその対価として「3倍返し」といって何か要求してくることがあるから、注意した方がいいよ」

とアドバイスしてくれました。

そんな話をしているとマネージャーに「今Fさんから電話ががかかってきていて、まだ菅社長いらっしゃいますかと聞いてきてきるので、どうしますか」言われました。

社長は「もう帰りましたと伝えるから、すぐ店を出た方がいいよ」と言ってくれました。

「後はお願いします」と言って店を後にしました。

やはり葬儀会場で2人は相当、目立っていたんだなとつくづく感じました。

バブル時代は反社会的勢力が土地の地上げや銀行や不動産会社や大企業の先兵隊となり法律違反ギリギリの汚れ仕事を担ってきました。

危ない仕事は全て彼らにやらせ大企業や銀行などは莫大な利益を得ていたのです。

バブル時代は土地の価格が急激に上がり、土地を短期に売却する「土地転がし」という手法が全盛でした。

「土地転がし」をするだけで巨額の利益が上がり、余り努力しなくても結果がでるわけです。

そんなあぶく銭が世の中のあらゆる物に投資され、毎夜若い人達を含めた大勢の人々が夜な夜な六本木、赤坂、銀座、新宿などの盛り場にお金を落としに殺到したのです。

タクシーは遅くなると拾えずタクシー乗り場には長蛇の列ができます。

乗車拒否をするタクシーも多く、夜中の方が街はごった返していました。

食事の後、二次会もせずお酒を飲まない若い人が多くなった現在の状況とは大違いです。

その後バブル経済は崩壊して暴対法も出来、反社会的勢力の人達は大変厳しい立場に立たされています。

勿論、違法行為を是認するわけではありません。

でもバブル時代に彼らを散々使い、後は知らんぷりした企業や銀行には余りお咎めなしで何か納得出来ない部分もあります。

10以上あった都市銀行は今は3分の1以下になってしまいましたがTopは余り制裁は受けていません。

1980年からずっと銀行関係と付き合ってきたので、よくわかります。

度々、生前、Nが一度僕に言った

「俺たちに汚い仕事をさせて、自分は命令するだけで、普段は善人面している奴がいる」

「俺達だって人間なんだよな」と言った言葉が今でも蘇ってきます。

僕も歳をとりグラスを傾けてバブル時代に出会ったNを含めた人達を思い出すことが多くなりました。

Nの葬儀に一緒に参列した心の支えでもあったEもコロナで他界してしまいました。

最近寂しくなることが多くなりました。

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