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多頭飼い家族の記録

ひと世代前の、我が家の多頭家族をご紹介します。

↑ 生後一か月程で左から、
ミルドレッド、チェリー、レオン、キュロ、ココ です。

母ネコのミケティンはこのコ達を産んだ5日後に、行方不明となりました。毎日ミケティンの帰りを待ちながら、とりあえずその時点で母業をバトンタッチすることに。いつ帰って来ても、
「ちゃんとすくすく育っているよ!」
と言えるように。

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子猫のママをやったことのある人にはお馴染みのルーティンでしょう。ネコ用粉ミルクを作って温め、ネコ用哺乳瓶でミルクをあげ、おしりを刺激してきれいにします。これを1回に5匹、4時間おきですので、もう一日中これをしている感じです。

哺乳瓶からイヤイヤをしながらもミルクを飲んでくれ、まだ目が開いていないうちに蒸発してしまった、ママの顔を見ることもなかった彼らですが、なんとか全員無事に育ってくれました。
でもミケティンはついに帰って来ませんでした。。。。。。。

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子猫のうちは誰かが最初におトイレに行くと、他もぞろぞろとみんな入って来て、所狭しとやっていました。

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ミケティンは半分ノラ、半分うちに懐いていたコでした。この家に引越して来た時に、既に周りにいたたくさんのノラちゃん一族の仲間でした。一族の中、ミケティンだけがわりと人間に懐いているコでした。

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↑ 子猫達のお兄ちゃんのモカと麻呂の兄弟、ママのミケティン(奥)
こんなに大きくなっても息子たち、まだママでモミモミしています。
いい加減やめたら? ママより大きいじゃん

モカと麻呂は、ずっとママと一緒に最初の一年を過ごしました。モカは遺伝子的に突然変異とされるオスの三毛猫で、知人に
「私だったら外には出さないワ、誘拐されちゃうわよ。」
などと言われましたが、そうなんでしょうか。。? 
後から聞いたには何でも高く売れるとかで、知らなかったですねぇ (笑)

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モカと麻呂はそれより一年前に、ミケティンが口にくわえて家の中へ持って来てから、テレビ台の後ろの人間が届かない所で、子育てを始めた子猫達でした。

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最初は何事か理解できず、おみやげにネズミを持って来てくれたのだと思い、悲鳴を上げた私でした。乳児の子猫は本当にネズミのようでしたし、それまで見たことがなかったので。。

ところがその前後に、何匹かの同じような姿の遺体を近所で見つけて、後からあれは死んだネズミではなく、ミケティンの大事な大事な赤ちゃんだったことがわかりました。。。おそらくカラスにやられたのでしょう。

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       ↑ ネズミ状態のモカと麻呂

そして必死にわが子を守り、口にくわえて家の中に避難してきたのでした。
私の悲鳴がおさまって、事態を頭で整理していると、5分後にまた外に行くと言い、再び数分後に、もう一匹を口にくわえて戻って来たのでした。その時点で私はようやく全てを把握することができました。カラスの踏襲を命からがらママに助けてもらえたのが、モカと麻呂です。

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↑ まだこの頃の子猫達は、無理やりどこかへ乗っけてもしばらくその場にいてくれます。下段でポーズを取っている、一年お兄ちゃんになったモカ。

ミケティンは最初の一年間、うちと外で半分くらいずつを過ごし、ちょうど一年ほど経った頃、お腹が大きくなり再び出産をしたのでした。今度は5匹とも家の中で出産し、全員無事でした。でも私が出産用に作っておいた箱は、見向きもしてくれませんでしたが。。

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だいぶ子猫達が成長してきた頃です。生後6か月程でしょうか。こうしてうちはいとも簡単に多頭飼いとなり、先住ネコのピートも入れて2年のうちに8匹のネコ大家族となりました。

この後は、犬もネコも男の子も女の子も、みんな去勢避妊を受けました。

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↑ ひと際インデペンデントな、ニューヨーク生まれの先住ネコ、ピート


この後我が家は再度アメリカに引越しをすることになり、8匹のネコ+2匹の犬と共に、前代未聞の数の民族大移動を遂げます。



もしもサポートを戴いた際は、4匹のネコのゴハンやネコ砂などに使わせて頂きます。 心から、ありがとうございます