昨日の世界。 それはあなたの世界でなく、 わたしの世界。 昨日の世界。 それは税務署や娼館で暴れることが言葉そのものの意味、アナーキズムの発露であり、 多元宇宙とやらを理屈づける独りよがりなきっかけにすぎないということのない世界。 昨日の世界。 それは路傍に転がる犬の糞便を口にして嬌声と罵声を浴びる世界。 コンピュータ・グラフィックの犬を冷蔵庫に叩きつけて愉快がる腰の引けた残酷趣味など、一顧だにされない世界。 昨日の世界。 啓蒙と対話の世界。 散々奇を衒った末の結論が家
『パリの灯は遠く』という映画を観た。 第二次大戦中、ユダヤ人から買い叩いた美術品で荒稼ぎしていた古美術商がひょんなことから同姓同名のユダヤ人と間違われ、身の潔白を証明しようと奔走するうちにアイデンティティ・クライシスに陥る……という物語なのだが、その中に非常に印象的なシーンがある。 家宅捜索に来た警察を横目に、アラン・ドロン演じる主人公は音符のみが記された楽譜を見つけ、ピアノで弾いてみせる。こともあろうにその旋律は「インターナショナル」だったのだが、何をしているんだ!と慌てて
どうってこたァねえよ ジャンクだキャンプだポップだと、自分の音楽を形容していたとっちゃん坊やが ご申告通りの地位まで引きずり下ろされたってだけの話よ 何が不当だって、知らなかったのか 水に落ちた犬を叩く日本人が、どれくらい残酷で凶暴か だけど世話ねえな 隅っこの方で黙ってりゃボクたちワタシたちのヒーローの若き日のご乱行でいられたものを 陽の当たる場所までノコノコ出てったが最後このザマだ お日様めがけて剣を抜き、ではなく お日様向かって媚を売り 焼かれて落ち
水平線が 眩く燃えて 沖をNavyの船がゆく High Schoolのことも忘れて In The Summer of '45 ジョニーが買ってきてくれたLemonade 浜辺に腰掛けて飲みながら パラソルの下ラジオを聴くわ ジョー・ディマジオの活躍を コニー・アイランドに映画館 パパのCoupeでダブルデイト ジョニーの肩に身を預けて 永遠に時は止まるわ アルバイトしたドラッグストア 馬みたいに働かされても 素敵なマリーと仲良くなれたわ In The Summer of
今朝早く起きて 裸の背を向け ちっぽけな画面を 見つめてるあなた くだらないことで 騒いでるものさ ミネソタでひとり 男が死んだ 路上を埋め尽くして 怒りに震える声 正義なしの平和なんて あるわけないだろうと… ばかげたことだと あなたはほほえむ 髪に櫛を当て ネクタイを締めて こんなやり方じゃ 誰も得しない 話し合うことが 大切なんだと やさしげなあなたには きっと見えないだけ 手錠をはめ 首を締め上げて 自分を殺す腕を あなたの出かけた 空っぽの部屋で 今日はパソ
昨年の初め、お誘いを受けて『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』なるドキュメンタリー映画を観に行った。俳優のマイケル・ケインがナビゲーターとなり、60年代中盤のスウィンギングロンドン華やかなりし頃の英国ポップカルチャーを振り返るという趣旨の作品である。 そこで描かれた内容はこの時代のファンである私にとって特に目新しいものはなかった。いっぽうで、その文化を形作った若者より少し年嵩にあたるケインが振り返るそれ以前の英国文化の方は非常に興味深いものであった。 曰く、
4月12日、コロナ自粛により殺伐さを増す一方のネット空間にある騒動が持ち上がった。 音楽家の星野源氏が上げた動画「うちで踊ろう」に総理大臣・安倍晋三が自宅でくつろぐ様子を添えたコラボ動画を自ら配信し、大変な波紋を巻き起こしたのである。 観測した限り、反感の趣旨としては皆が"自粛"で家にいることを余儀なくされる中、本来音楽家たちが自由にコラボしていいという目的で星野氏の上げたフリー素材に対し、至らない対策を連発し怒りを買っている総理大臣が自宅でくつろぐ様子を添付するとは実に
『勇気ある追跡』('69)という映画がある。 主演がジョン・ウェインとグレン・キャンベルで監督がヘンリー・ハサウェイ、当時流行のマカロニ・ウェスタンに背を向けた長閑なオールド・ハリウッド西部劇である(コーエン兄弟によって『トゥルー・グリット』としてひどく殺伐としたリメイクも作られたが)。 そこに脇で出演しているのがデニス・ホッパーだ。何かの盗賊だったということくらいしか覚えていないが、今英語版Wikipediaで確認したらチンケな悪党というだけでなく、ウェインに拷問されて
いわゆる昭和カルチャーに耽溺していて、どれだけ資料を蒐集したとしてもリアルタイムの方々に敵わないと痛感させられるのがテレビの存在感である。どんなに暇をもてあましていても毎週土曜19:30から「仮面ライダー」を観て、20:00から「8時だョ! 全員集合」を観て21:00から「Gメン’75」を観るわけにはいかないのではないか?(ちなみにこれは当時東京西部に住んでいた昭和36年生の私の母親が実際に家族で視聴していた順番である)。その中でもとりわけ解らないのがやはりお笑いの分野、特
1974(昭和49)年夏、暴力団の抗争が絶えず「東北のシカゴ」と呼ばれていた福島県郡山にロックが轟いた。ヘッドライナーとしてアメリカからヨーコ・オノを招き、日本からもはちみつぱい、外道、サディスティック・ミカ・バンド、かまやつひろしなどなど、70年代日本ロックの主だったグループのほとんどが集結したワンステップ・フェスティバルである。ちなみに「東北のシカゴ」という仇名はいかにも昭和ふうの垢抜けない形容に思えるが、同地が舞台の体制的音楽映画『百万人の大合唱』('72)も治安の悪
映画『シェイプ・オブ・ウォーター』を観た。 実に結構な話だった。米ソの緊張高まる60年代初頭を背景に描かれる唖者の女性と半魚人との異形の恋物語。全編にレトロなムードを漂わせ、公然と罷り通っていた黒人女性や同性愛者への差別もテーマに織り込み、寛容の精神を説く。アカデミー賞受賞も納得の、文句のつけようのない出来映えだった。 だが、どうにも引っ掛かるところがあった。 マイケル・シャノン演じる敵役、ストリックランドと彼を取り巻く描写だ。朝鮮戦争に従軍したストリックランドは立身出世