気になること「些細な誤植、ないし見落とし」

 読みかけている岩波文庫「精神分析入門講義(下)」にほんのちょっとした、たぶん誤植だろうな、と思うところがあった。本でいうと166ページの最初の行「これらの神経節群の細胞が脊椎から神経の根地帯に遊走したものである」の「脊椎」。この本の英語訳 A General Introduction to Psychoanalysis (1920 ) が Gutenberg で読めるので該当箇所を見ると"spinal cord"(脊髄)になっている。文脈から脊椎はあり得ないし、この字の取り違えは結構あるあるでもあるので、些細といえば些細、気にするほうが悪いのかもしれない。ただ校正の担当者は残念に思うかもしれない。翻訳担当者はどうかしら。この程度のことは開き直らなければやってられない、と思うのかもしれない。

 フロイト全集の翻訳に修正を加えて文庫本になったというので、次に改訂する機会があったら修正されるのかもしれない。

 以下はまったくの付け足しだけれど、上のことを確認してみる序でに気になったのは同じ章(第二二講、164ページ6行目)の「一般的に生物学的出来事が変異への傾向性を有する」というところで、「変異」に対応する箇所は英訳では "variation" だった。現代の感覚で表面だけ読めば、生物の起こす現象はひとつ取ってもたくさんの多様な遺伝子変異に関連づけられるもんね、ふむふむ、みたいな感じで読み飛ばされるかもしれない。しかしフロイトのイメージにはどれくらい(がらっと違う)「突然変異」みたいなものが入っていたのだろうか。本のこの部分が上記の(発生での)細胞遊走の「程度の違い」のようなものが念頭に置かれていたものとすると、辞書に「変異」の語が載っていてもそのまま使うのはよろしくないかも知れない。フロイトのイメージがどうだったかは科学史家が解明してくれるかもしれない(あるいは私が知らないだけか)。そこまでを翻訳者に要求するのは無理筋だろう。"variation" に程度の違い、ずれ、の意味が込めてあるとすると、「変位」「偏位」を考えるのがいいかもしれない。


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