子規の宿

 仰臥慢録(明治三十四年)九月十九日に、鳥海山の頂に夕日が残っている時分に着いた海岸の松原にある旅人宿で思いがけず酢牡蠣と牡蠣の椀物が出た話があった。ふと思いついて「はて知らずの記」を見たところ、(明治二十六年)八月十日にこれに対応する記述があった。「行き暮れて大須郷に宿る。松の木の間の二軒家にしてあやしき賤の住居なり。楼上より見渡せば鳥海日の影を受けて東窓に当れり。」とのことである。

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