アイデンティティの比重
今となっては、中高時代のように盲目的に何かを好きになれない。
当時は好きなバンドのCDはすべて集めて、カップリング曲まで全部網羅して、雑誌のインタビューなどは発売日に書店で立ち読みしていた。
曲だって、イヤホンつけっぱなしで8時間くらいぶっ続けで聴いていた。
あの頃は感受性が強くて、見たもの聴いたものすべてが新鮮で、
だから当時はそれが世界のすべてのように感じたというのもある。
でも何より中高時代の私にとっては、好きな音楽や本こそが自分を表すアイデンティティだったんだと思う。
アイデンティティにもいくつか種類がある。思いつくものを挙げてみる。
① 部活、サークル、会社に属しているといった所属意識。
② 友達としての自分、彼氏・彼女としての自分、子・親としての自分といった他者との関係性によるもの。
③ 教育に携わる、町おこしをする、人と人を繋げるといった社会的な役割。
④ 料理が得意、発想力がある、会計の資格を持っているといった能力的なもの。
⑤ ゴルフ好き、歴史マニア、アイドルオタクといった趣味的なもの。
人生のフェーズによってどのアイデンティティがどれくらいの割合で混在するかは変わってくるし、同じテーマでも趣味→能力→社会的な役割と発展していくかもしれない。
ただ中高時代の私にとってはアイデンティティのほぼすべてを趣味的なものが占めていて、だからこそ好きな音楽や本にあそこまで夢中になれた。
私は今30代だが、年を重ねるにつれて趣味的なものの比重が少なくなってきた代わりに、社会的な役割について考えることが増えた。
でもこれがまた60代くらいになると趣味的なものが盛り返してくるのかなと思ったりすると、それはそれで楽しみだ。