映画「えんとつ町のプペル」を観て(2)
☆☆この投稿は、思いっきりネタバレを含みますので、映画を観た方に読んでもらいたいなと思います。☆☆
えんとつ町は、たくさんの煙突があり、ひとつひとつの煙突から、もくもくと煙が出ていて、たくさんある煙突から出た煙で、町の上空は覆いつくされています。
どうしてそんなことになっているのか?
それは、えんとつ町の歴史をさかのぼる必要があります。映画の中でも、えんとつ町の250年の歴史は、しっかり語られました。
えんとつ町の250年の歴史は、レター2世という統治者の意図から始まりました。
レター2世は、海を越えて、のちの「えんとつ町」になる地へとやってきました。
それは迫害から大切なものを守るという歴史でもありました。
同時に、迫害から大切なものを守るために、その意図に合わないものを迫害するというループを生み出してしまいました。
「大切だと思うものをなんとしても守りたい」
これがえんとつ町を覆う煙の本質でした。
そして映画では、その煙を「無煙爆薬」で吹き飛ばしました。
煙の出ない爆薬。
そりゃそうですよね。
爆発で煙を吹き飛ばしても、その爆薬が新たな煙を出せば、何やってるか分からないですもんね。
ぼくはね
ぼくたちにとっての「無煙爆薬」って、人の働きだと思っています。
煙を噴き出してる人を前にしても、煙を外に出さない人
煙を浴びても、被っても、吸い込んでも、それをドカンと吹き飛ばす人
そういう人が「無煙爆薬」なんだろうと思うのです。
ぼくは漫画やアニメが好きで、中でもワンピースはとても好きなのですが、そこに出てくるチョッパーというトナカイが「万能薬になる」と言ってるのです。
もちろんチョッパーはトナカイなので、どうがんばっても、存在としてはトナカイ(変な果物を食べてバケモノになってるので、バケモノトナカイですが)なわけで、もしかするとその角を削って、アンパンマン的に万能薬ってことも万一であるかもしれませんが、実はいのちには、漫画やアニメだけじゃなくて、ぼくらのこの世界でも、働きや機能や効能を生み出す創造力がありまして、そのしくみが、彼に万能薬と同じ機能や効能や働きを生み出しちゃうことはありえるわけです。
もちろんそれは狭き門かもしれない。
だけど、だからといって、可能性が0になったわけじゃない。
だから、わたしたちが心から噴き出す煙を吹き飛ばす、無煙爆薬とおなじ働きを手に入れることはできる。
実際にそんな無煙爆薬を作れればいいのでしょうが、そもそも、なんで心が煙を出しちゃうのかという原因を知ると、物理的に無煙爆薬を作る必要は、どこにもないことが分かります。
食事の用意をしていて、ひとり一人、おかずのお皿と、お汁と、ご飯茶碗ととつけものの小鉢と、お茶の湯飲みとお箸をセッティングしていく時に、漬物小鉢の位置が、予定していた位置じゃない。
心の煙が出る原因って、そのようなことだったりする。
だから、それをそっと、予定していた位置に動かせばいいのですが、これが、絶対に死なないのだけれど、とんでもない苦しみを実際に感じるわけです。
その苦しみが煙です。
世代を超えて連鎖しつづけている、煙です。
絶対に死なないし、絶対に死なないことは分かるんだけれど、でも、死んだ方がマシだと言いたくなるような状態になる、煙です。
だけれども、死んだ後の記憶がよみがえった僕は、それは心の嘘だと分かります。
心に呑まれて生きた後、心身の死の先に、靈は知るんです。
また、やってしまったと。
同時に、なんでこんな人生になったのか、すべて、完全に理解できます。
そして、思うのです。
「これだけ分かれば、もう大丈夫、次は、絶対に呑まれないで生きれる」
だけれど、やっぱり実際に生きてみると、結局吞まれるということを、わたし達は繰り返していることが多いです。
その結果、どんどん吞まれやすい宇宙を創造してしまっています。
そして、どんどんゲームは面白くなっていきます。
もしも、この今の地球人類が、煙を吹き飛ばすことに成功したら、それは、とんでもない感動を体験できる。
ぼくは、感動したい。
Ryosuke
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