靈(たましい)は、しゃべらない

僕が取り戻した「膨大なストーリー」は

・月がなかった頃の記憶
・その後、現在にいたるまでの57回の死と生の間の記憶
・地球を「いのちの楽園」へと導くために必要なこと
・これから先、僕がどのような人生を過ごして死を迎えるか
・次、生まれてくる時のこと

です。

これらの「膨大なストーリー」から導き出されるのは、わたしたち人類の本来の姿だったりします。

だけれどこれは白昼夢として見た夢物語と何ら違いませんし、僕はそんな夢物語を、大真面目に掲げて、これからも図太く生きます。

さて、タイトルにも書きましたが、靈は言葉を持ちません。

思いというのは心の機能であり、わたしは思ってなんかいません。
検討は心の機能であり、靈の働きではありません。

たましいは声を発しません。

何度だって書きます。

たましいは声を発しません。

靈にできることは

・存在させること
・意図すること

この二つです。
まさに神そのものだと思いませんか?

これが事実だと、これが真実だといいたいのではなく、僕が生まれる前の僕から受け取った「膨大なストーリー」に収まっていることを書いてます。

書きながら、心は動揺しています。

その動揺を正当化したいのでしょう、動揺の元に使えそうないろんなイメージを湧き上がらせてます。

残念ながら、僕はそんなのに吞まれたりはしないのです。
なぜそんなことが出来るのかというと、そう意図したからです。

僕は心の欲求を叶えるために生まれてきたのではなく、僕の意図を心と身体で具現化するために生まれて来たのです。

ただそう意図してるだけです。

これはとっても重要で、「膨大なストーリー」には「呪いの構造」ということで表現されてることがあって、実際に呪いというものが存在しているかどうかということではなくて「それはまるで呪いのような影響力」をもつ発想なんですけれど、それが、どんなことになってるのかというと

他者から

「わたしはそう思わない」
「わたしはそう思えない」
「わたしはそれを信じない」
「わたしはそれを受け入れない」
「わたしはそれを認めない」

もしくは

「わたしにはこう見える」
「わたしはこう思う」
「わたしはこう感じる」

というような表現を投げかけられると、暴走する心はパニックを起こしますし、暴走する心には、そのようなセリフがたくさん入っていたりすることもある(必ず入ってるのではありませんし、入ってるかどうかの精査モードに入ると呪い発動となります)。

なので、このような言葉がやってきた時には

「あなたはそうなんですね」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

という思考をすぐさま巡らして、呪いの無効化を実行して、常に、フラットを保って、心を観察するポジションに移ることが大事です。

話が脱線しました。
元に戻します。

靈はしゃべらない。

靈にできることは

・存在させること
・意図すること

の2つです。

これは、靈として生きる人にとって、とてもとても重要なメッセージです。

言葉やイメージは、靈の響きを、心が翻訳したものでもあり、心が記憶から創り出したものでもあります。

靈の響きをどう翻訳できるかは、心の状態によりますし、認知した言葉やイメージが、靈の響きを翻訳したものか、心が記憶から創り出したものかは、心にしか判別できません。

判別は靈の機能ではないからです。

靈の機能は2つ

・存在させること
・意図すること

これだけです。

Ryosuke

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