何かを問題視するのをやめる
靈(たましい)を生きるということは
自分好みに心を整えていくことだし
その心を使って身体を動かしていくこと
靈としてこの地球で暮らすために
まずは一番近い所との関係を整えるということです
わたしたちは、心を自分だと勘違いしてしまいやすい文化でくらしてます。
靈を生きるということは、その文化をどうにかしようとするわけではなく、その文化とは別の、独自の文化を創り出そうということです。
今の文化は、強者と弱者が生まれてしまっていますし、勝者と敗者も生んでしまいますし、善と悪も見えてしまうし、うれしいこともあるけれど、悲惨なこと、悲しいこと、やるせないことも沢山起こっているというものです。
だけれども、それはわたしたち人類のすべてではなく、一部の人類だけがハマってるゲームのようなものです。
一部の人類以外の生き物たちは、違うゲームをしています。
つまり、わたしたちの文化は、一部の人類が創って、勝手にやってるゲームです。
そのゲームをひっくり返す必要はありません。
というか、そのゲームをひっくり返そうとすることは、そのゲームの覇者と戦うということになります。
そんなことはまったく必要ないのです。
新しいゲームを創ればいいのです。
ここで語っていることは、心を自分だと思うゲームから、靈を自分だと思うゲームへの移行をしようよというおさそいです。
ぼくの提案するゲームは、靈が自分自身で、そんなわたしが、心と身体を使って、この地球を「いのちの楽園」にするというストーリーになっています。
今の文化には、この地球に生まれる前に自分に誓った人生ではなく、ゲームが生み出すキャラクターになることを目指したくなるようにできています。
そうすると、このゲームに飲み込まれてしまい、すでにこのゲームの覇者としてして何世紀にもわたって君臨している強者との勝負になってしまう。
すでにこのゲームに飲まれてしまっている人々は、新しく生まれてきた者たちに、自分たちがハマっているゲームをするための心得を、覇者でもないのに教えます。
そう、この時点で、もう詰んでいるようなものなのです。
僕は子どもの頃に、それに気づいたけれど、どうしようもなかった。
子どもの頃は「これは右手ですよゲーム」と自分の中で思っていた。
そのゲームには絶対にはまってはいけないと感じた。
だけれど、あまりにも難しいことで、完全にはまってしまってはないけれど、どうしてもそのゲームのあり方に影響をされてしまう。
だから、できるだけ染まらないように、影響されないように、でも身を滅ぼさないように、自分を保ち続けて、ずっと考えて、考えて、考えてきました。
何で僕はこうなんだとも思いましたが、どうしようもありませんでした。
僕が強かったわけでもなく、辛すぎて、怖すぎて、他に、選択できなかっただけなんです。
でもそれは
実は、生まれる前に、僕が僕にかけた魔法だったということが「膨大なストーリー」にありました。
もう、爆笑して号泣するしかありませんでした。
Ryosuke
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