月がなかった頃のこと

Luca が僕に伝えたメッセージによって、ぼくが隠し持っていたパンドラの箱が開いた。

そして、僕たちはいま、そのパンドラの箱から出てきた「膨大なストーリー(enormous story)」に魅了され、その中で生きているともいえる。

それはつまり、現実の世界を、夢の世界で作られた羅針盤を使って生きているということだ。

もしも、その羅針盤が使いものにならなければ、僕たちは、その「膨大なストーリー(enormous story)」を、ただの夢物語として、そっと思い出の片隅に追いやっていたかもしれない。

だけれど、僕たちはそうはしていない。

それどころか、その羅針盤を生きる指針にして、暮らしているし、夢の世界からやってきた羅針盤を、いまだ愛している。

 ー ー ー

昔、地球には月がなかった。

この発想そのものは、僕にとってあたらしい発想ではなく、すでに出会っていた発想だった。

とはいえ、それは月のある地球に生まれ育った僕にとっては

「そうかもしれないお話」

でしかなかった。

だけれど、今のぼくと Luca にとっては、既知のものと比べても、その輝きを失わない物語となっている。

 ー ー ー

月がなかった頃の地球は、すばらしい惑星だった。

海はちいさく、地球のほとんどの場所は不毛の大地。

植物を中心としたいのちの世界は、小さな海をいのちの泉としてたたえたオアシスであり、楽園だった。

わたしたち人類は、地上を植物を中心としたいのちの楽園にするため、海を取り囲むように、地下のあちこちに太陽の光を導き、そこに巨大な居住空間を建設して暮らしながら、日々、あらゆる他の生き物たちと意思疎通をはかりながら、いのちの楽園を拡大していた。

その楽園は、約500万年という、今から考えると、とてつもなく長い年月の取り組みの成果として、地球に生まれたすべてのいのちの栄光として、繁栄していた。

その頃の地球は、今よりも小さく、おのずと重力も小さく、そして高気圧で高温多湿、気候は安定していた。

とはいえ火山の噴火や地震、津波、隕石の落下や落雷などもあったが、それを災害という捉え方はしていなかった。

今では化石として発掘されるだけになってしまった、巨大な恐竜や翼竜と呼ばれる生物も、景色の一部として、ごくありふれたものだったし、彼らと人類はとても調和的に、悠久の時をつないで育んできたこのいのちの楽園を、共に繫栄させる仲間として、それぞれの役割をまっとうしていた。

その頃、我々人類は、文字や言葉を持っていなかった。

なぜなら、まったく必要なかったからだ。

すべての生命の意識は、つながっていたのだ。

植物も動物も昆虫も鳥も微生物や菌類も、互いに意思疎通していた。

では、声は?

わたしたち人類は、声を持っていたのか?

持っていた。

ただし、意思疎通の道具としてではなく、存在の彩りとして、声を発していた。

まるで楽器のように全身を使い、色々な音を出し、響かせ合っていた。

それは、わたしたち人類だけの時間ではなく、すべてのいのちに開かれた時空間でのことだし、日常だった。

その頃、わたしたち人類のひとつの共通認識として、この地球という惑星のことを「ムー」という響きで認識していた。

それは、この惑星が発している響きを、同じように認識していたからだった。

Ryosuke

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