TIDY PUBLISHING

写真集などを発売しております。世の中に流通しにくい個性あるコンテンツをお持ちの方、ぜひお声がけください。 Instagram @tidy_pict

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最近の記事

『Mystic Place -Mountain Scenery of Ceramics-』 発刊に寄せて

陶芸家・高田尚紀はその世界では極めてユニークな存在である。 彼の作品を見れば、その独自性はひと目で見て取れる。 まず彼は一般的な茶器のみを制作するクリエイターではない。彼の本領はそのモチーフであるマウンテン・ランドスケープである。 荒涼とした山肌、屹立する鋭い山陵。そして独特の色彩。 彼はいわば山岳陶芸家と呼んでもいい。 幼い頃に見た記憶が原風景となる 高田の父は登山愛好家であった。 父は幼い高田を連れてよく日本アルプスの山々を歩いた。 その光景のインパクトが高田の原

    • 『SHADES of COLOUR IZUMO, KYOTO and KAMAKURA』刊行に寄せて

      恩田義則に関する軽い誤解 私は恩田義則に関して、ある時まで軽い誤解をしていた。 恩田が黒部を訪れたときのことである。恩田はその日、黒部の山々の数枚の写真をInstagramに投稿した。 その風景写真は、見事だった。私は彼に電話して、素晴らしいので写真集にしようと持ちかけた。 すると恩田は、「観光写真を撮ったつもりはないが、これは僕が本当に表現するべきものかな」と遠慮がちにほのめかした。 それらの写真は、駅に貼ってあるような観光ポスターやチラシの写真とは、明らかに趣を異にし

      • 写真における「正しさ」とは。『写真にする理由 鷺坂隆の大人の写真講座』刊行に寄せて

        写真家・鷺坂隆の写真に向き合う姿勢は、誤解を恐れずひと言でいうと、一本の「正しさ」で貫かれている。私はその「正しさ」に惹かれてこの書籍を刊行した。 一般的に芸術に対して「正しい」という表現は使わないかもしれない。そこにはなにか優等生めいた印象が付きまとうからだろう。芸術には、既成の概念(イメージ)を打ち壊す側面があるのはもっともだが、「正しさ」を極めたら、もし「正しさ」を突き抜けたら、それはそれで「正しさ」の先の、新しい世界が垣間見れれるのではないだろうか。 鷺坂の写真は

        • 感覚器官の衰えを憂いてはいけない

          異質なものへの憧れの喪失 歳とともにノイズやカオスに弱くなった。 若い頃は、異質なものに憧れ、異質なものにこそ、自分の知らない「真実」が隠されていると思ってた。 ところが、加齢とともにガサガサしたり、ザワザワしたりするものを見てみぬフリをするようになった。 おそらくだが眼をはじめとする感覚器官の受容域が狭くなってきたのだと思う。 そんな話をすると果てしもなく後退した自分を嘆いているようだが、実はそうでもない。 雑味に弱くなるということは、本質だけを見ようとする欲望が

          なにかを受け入れる生き方とは

          犬が結ぶ娘とのつながり そもそもこの犬は私の娘が和歌山県の村落の住人からゆずってもらった甲斐犬でだ。 生まれた頃は漆黒のいでたちで、まるでビロードの毬のような愛らさだった。娘はその黒さから「ちびくろサンボ」を想起して「サンボ」と名付けた。由来となった物語は子どもたちの間で読みつがれてきたベストセラー。ただ、特定の人種の蔑称であるという意見もあり、賛否が議論されてきた経緯がある。私も娘もそのことは理解しているし、差別的な着想から命名したわけではない。 この物語は、私の少年時代

          なにかを受け入れる生き方とは

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          TEST SHOOTING

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          円熟の果て。モダンと陰影の美

          大衆は正義であるけれども インスタグラムで人気の写真について批判をするほど、若くも愚か者でもない。大衆に人気のある作品は正義であると考える。長年、編集者をしていると、人気が出る写真の魅力には敏感になるし、そういう写真を撮っているスターの方とも接触する機会がある。 しかし、それはそれだ。 スターの中には本当にリスペクトできる方もいるし、そういう方の話を聞くのも好きだ。 しかし、それはそれだ。 恩田義則のその後と現在 もう一度、恩田義則(敬称略)について述べたい。恩田は「

          円熟の果て。モダンと陰影の美

          13歳のフォトグラファーMIHOの小宇宙

          上手いとか上手くないとかの話ではない。 撮れてるとか撮れてないとかの話でももちろんない。 小さなデジカメXQ2とコンパクトフィルムカメラGR1を持ち歩き、ひと目に触れないように遠慮がちにササッと撮ってその場を立ち去る。それがMIHOのスタイルだ。 知人の娘であるMIHOは数年前から家の中で暮らすのがどうやら好きになったらしい。 理由は本人でないとよくわからない。本人に聞いてもよくわからないと思う。家でネットの海を航海しているのが性に合っていたのだろう。誰だって、そういう事

          13歳のフォトグラファーMIHOの小宇宙

          写真にとって技術の向上は必要か

          はかなさとは単なる刹那か 「はかない」「切ない」などの言葉で記述できる写真群がある。 にじみでるような淡い感情が表現された画像を指してそのように語られる場合が多い。 その「はかなさ」「切なさ」はある意味、その発露の瞬間を偶然に捉えた場合が多いと考えられる。 だから、はかなく切ないものは刹那の象徴であり、分析や計画とは次元の違うものとも言われてもおかしくない、が。 写真家との再会 写真家・鷺坂隆(敬称略)とはすでに40年近い交友を持ってきた。彼と私は出版社の同期でふたりと

          写真にとって技術の向上は必要か

          石を愛でる、解する。「水石」の魅力

          石の中に森羅万象を観る 「水石」(すいせき)というアート趣味がある。 水石は河川などに散乱・埋没する石の中から、秀逸な色や形状、肌触りなどを持つ石を持ち帰り、これを芸術的に楽しむ鑑賞法だ。 印象深い文様や形をした石の中に森羅万象や宇宙を発見するという、極めて創造的な娯楽。古より、文人・武人などがたしなみ、現代へと受け継がれている。 「見立て」というたしなみの美学 掲載した写真は、この芸術を世界へ広める活動をしている写真家の恩田義則氏が所有する滋味あふれる作品(本人撮影)

          石を愛でる、解する。「水石」の魅力

          写真家・恩田義則作品集発売に寄せて

          変遷する東京と心象風景 人は一生のうちにさまざまな光景を見る。 生まれた時からずっと見てきた東京。同じ場所に立っていても目の前の景色は月日とともに違った表情で見えるものだ。もちろん、街は時代とともに、その様相を変える。建物は改築されるし、人々のファッションも変化する。それは外的な要因だが、人の内部で見る東京もまた時の経過とともに大きく移ろう。 写真家・恩田義則とは 写真家・恩田義則(敬称略)は、東京で生まれ、東京で育ち、そして今も東京で活動している。20代よりずっと、フ

          写真家・恩田義則作品集発売に寄せて