はじめて借りた部屋は南向き1DKの明るい部屋でした
「ここに決めよう」
当時勤めていた会社の所長のひと言で決まった私の部屋。初めて一人で暮らす私の部屋。
それは小さなビルの階段で上がった3階の奥にある、南向き1DKの部屋だった。
勤めていた会社の移転で自宅通勤が困難になってしまい、親元を離れて一人で暮らすことを親子で決めた。私26歳の時。最初の4年間は社宅扱いとなる為に所長と不動産会社の人と3人で見に行った一軒目で即決。狭い玄関の先に台所、横にはユニットバス。奥には日当たりのいい和室というコンパクトな部屋。ビルの一階は美容室とラーメン店、そして怪しげなスナック。向かいには2軒のお弁当店、洋菓子店、隣には薬局、不動産会社。コンビニやバス停、スーパーは歩いてすぐ。会社へはバスで30分足らずの距離。
母も驚く立地条件の部屋だった。
引っ越しの当日、実家から荷物を送り出したら父の運転する車に母と3人で乗って1時間ほど走り到着。
新居で荷物を受け入れてから片付けて、3人で来た道を父と母は2人で帰っていった。帰り道、父はただ黙々と運転していたらしい。後に母から聞いた。
年末年始、GW、夏休み。長い休みは実家へ帰った。地元の友人との遊びもあったけれど、光熱費や食費の節約、母の料理恋しさに。
休みの終わりは決まって、荷物や諸々の食品などと一緒に父の車で家まで送ってもらうのが習慣になった。そして父は帰り際に決まって私に聞く。
「お金はあるのか?」
私は決まって答える。
「ない。」
父は私にお小遣いを渡して一人で帰って行った。さっき2人で来た道を。
私が会社を辞めて実家へ戻るまでの6年間、それは繰り返された。
風邪を引いたりして体調の悪い時は親の有難さを痛感したけれど、まだ若かった私は毎日が楽しかった。自由だった。
最近になってあのビルが気になって、ネットで調べてみた。会社の友人たちと行った居酒屋はまだあったけれど、他はすっかり変わってしまっていた。
お小遣いを渡して一人で帰って行った父も、美味しい料理を作ってくれた母もすでに亡くなった。
でもあの部屋を思い出す時、まだ元気だった父と母を思い出す。
父に買ってもらっては増えていった植物でいっぱいになった南向きの部屋は、母にジャングルみたいと呼ばれたっけ。帰って行く父の後ろ姿は年々小さく見えたっけ。苦しいことも、楽しいこともあの部屋で味わったっけ。
南向き1DKの部屋で暮らした4年間は、いちばん濃い私の思い出となった。
今もあの部屋はあの場所にある。
周りの環境や人間は変わってもあの場所にある。
私の頭の中にある。