夫が路地裏にいるかもしれない
母系をたどると母も伯母も祖母もみんなもれなくキョヌウの一族であり、その血をひくわたしや妹もやはりキョヌウの末裔で、その因果としてユニクロにはわたしのサイズのブラジャーが売っていない。
仕方ないから下着専門店に買いに行くのだけど、それでも「ここ」と決めたブランド以外のものだと、その色のそのサイズはお作りしてないだの、この形はどのサイズまでしかご用意がないだの、色々と制約があって面倒くさい。新規開拓する気力も体力もないんで、十年近くずっと「ここ」と決めたブランド一択、高いけど。
高いから失敗したくなく、買うときには絶対試着をするんだけど、そしてメーカーも「三ヶ月に一回はフィッティングをしましょう」って推奨しているんだけど、思春期でもないからもうそんなに頻繁にサイズなんて変わんない。
現にわたしは五年以上同じサイズだし、だからこれはシーズンに一着売るための巧妙な罠であるなと思い、ヨレヨレになってきたら買い替えるって感じでうまいこと下着屋と付き合っている。
ブラジャーってのは、形によっても微妙に合うサイズが変わってくるんで、やっぱり買うたびに試着するのがいいとわたしは思う。脇高のものだったり、真ん中に集める力の強いものだったり、谷間をキープするものだったり、でびっくりするくらいの種類がある。
アラフォーになった今、谷間とか寄せて上げるとかもはやどうでもよく、わたしがブラジャーに求めるのはとにかくありとあらゆる肉をカップの中にかき集めておきたいってその一点のみ。というのはもうこの年になると思考も記憶も肉も緩んでくるんで、油断してると記憶や思考はぽろぽろと脱落してエッセイのネタを逃すし、肉はブラジャーのカップから逃げていく。
記憶や思考はどうにもできないにせよ、肉は外的な力でどうにかできる。
そんな折、わたしよりキョヌウの妹から「背中の肉を押さえておいてくれるブラジャーが楽ちんで快適」と聞いて早速買いに行った。
いくつかのサイズを試着したのち、フィッターのお姉さんの「いつもよりワンサイズ下げた方がいい」という言葉に従うことにしたんだけど、なんかちょっと「収まりきってない」感がある。乳房が潰れ、カップの上から肉がむにゅっとなっている。
でもプロの言うことだし、とむりやり納得することにし、パンティ2枚とあわせて、諭吉(当時)二人、一葉(当時)一人を遠い世界へ旅立たせた。なんなら英世(当時)も何人かついて行かせた気がする。仕方ない、キョヌウの宿命である。受け入れるしかない。さようなら。
妹おすすめのブラジャーは快適そのもの。バックベルトが太くて安定し、長時間つけていても不快感がない。
でもやっぱり気になる「収まりきっていない」感。乳房が潰れてカップの上から肉がむにゅっとなっているのはおかしいと思うんだけど、その辺どうなんだろうと引っかかり始めたらもう気がかりで仕方ない。
店舗を変えて熟練フィッターのマダムに相談したら、結局いつものサイズでぴったり合うということになり、またもや諭吉と一葉を旅させることになった。さようなら。
そんなわけで、わたしの手元にはサイズの合わない薄紫色のブラジャーとおそろいのパンティ2枚が残っている。
酒のツマミにそんな話を夫にしたところ、
「noteの読者プレゼントにしたら?」
なんのはなしですか
夫よ、万が一それでほしいという者が現れたらあなたはそれでいいのか。
妻(アラフォー)の使用済みブラジャーを嬉々として貰い受けるような変態が存在したとして、そのことを許せるのか。
あなたにとって、わたしとはその程度の存在なのか。
つい冷静さを失い、そんな言葉でなじった気がする。
「だってさ、面白いじゃん。欲しがる人いそうじゃない? 熱狂的ファンとかいないの?」
面白さですべてを判断されておられるのですか?
面白いか面白くないか、それは倫理観とか夫として妻のブラジャーが第三者にわたるかもしれないことが嫌だとか、そんなことさえも超越するのでしょうか。
面白いことがすべて、そんな価値観をお持ちだったのですか?
面白いか、面白くないか。
こんな「俺か、俺以外か」みたいな価値観の場所に、わたし自身は数ヶ月前から身を置いている。そんな気がする。
……あれだ。
noteの街の路地裏。あそこの価値観がまさにそれだ。
わたしの夫は、わたしが知らないだけでロジウラーなのかもしれない。
路地裏の沼にハマった結果、面白いから妻(アラフォー)の使用済みブラジャーを読者プレゼントにしようなどという狂った発想が出てくるようになったに違いない。
路地裏には今もってどんどん人が流入してきている。
「どうかしているとし課」を立ち上げはしたものの、正直どんなメンバーがいるのか全員を把握できていない。
わたしが見知っているロジウラーなんてごく一部。
見知らぬロジウラーの中に夫が潜んでいたとしても、わたしには分からないのだ。
まして、少数だけれども確実に存在するという読み手の一人が夫だったりすると、わたしから手出しをすることは不可能になる。
「熱狂的ファン」に言及する辺りから類推するに、最近になって発見され始めている「ティコ族」のうちの誰かひとりが、実は夫だったりするんだろうか。もしくは彼がひとりで複数の人格を使い分け、年齢も性別もバラバラの何人ものティコ族を演じているのかもしれず、そうなるとわたしは完全にひとりずもう状態であり、何重にも恥を晒していることになる。
夫がロジウラーかつティコ族かもしれない。
そんな疑惑をキョヌウの内に抱きながら、わたしは今日もnoteの街の路地裏で何の役にも立たない文章を書いている。
創作大賞、路地裏賞を頂きました。
なんのはなしです課、どうでもいい課の両課長から感想記事を頂いたので、これは堂々の路地裏賞です。誇れる成果です。
受賞式やらないと……コニシさん、みのむしさん、蝦夷地にてお待ちしております。
見た感じ、表舞台では正面からぶん殴るエッセイは求められてないんだろうなぁっていう印象でした。
中間通ったエッセイと比べて「わたしきゅ」が質的に見劣りしているとは思っていないので、内容が創作大賞という賞とは合わなかっただけ(こういうこと書くから嫌われるんだよ、わたし)。
あれがだめなら、わたしが表の賞レースに出せるエッセイなんて何もない。
だから、これからも路地裏でフラフラ遊び、うっかりすれ違ったあなたの心をぶっ刺します。
中間通った方、来年以降も挑戦される方の健闘を祈ります。
1万文字の制限におさめるために書かなかったこともたくさんあるので、私家版とか作って文学フリマに遊びに行きたい。
私家版作ったらほしい人……いる?
コニシさんとみのむしさんには、「いらねー」って言われても無理やり押し付けます。
それか私小説としてRewriteして文藝賞に出そうかな。
私家版作るならその後でも遅くないわけで。
時間はあるので、ゆっくり考えます。
創作大賞に向けて書いてるときよりワクワクしてる。
結果にとらわれることもなくなるし、自由だからね。
ティコの文学は、死なない。
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#どうでもいいか