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さらば、命の母

お風呂で上がった体温がいい感じに落ち着いてきて、ふわりと顔を撫でる眠気の尻尾を掴む。
不眠気味のわたしが唯一心がけているのは、この尻尾は掴んだら絶対に離さないこと。ただそれだけ。
そのはず、だった。

家を新築したときに買ったベッドは、独り寝には広すぎる。
夫と同衾していたころの習慣を未だに捨てられないわたしは、ベッドの左側を広く空けたまま充電ケーブルをiPhoneに挿し込んだ。
いつも通りそのままサイドボードに置こうとしたところで、通知により本体が一瞬震える。
どうせYouTubeかAmazonだろうと思いながらも、一応画面を確認すると、推しが記事を更新したというnoteの通知だった。
どうする? 今読む? 朝までとっておく?
通知に気づいてしまった時点でわたしの負けである。読むにせよ、読まないにせよ、眠気の尻尾は今やわたしの手の中には毛の一本も残っていなかった。
0.3秒だけ考えて、わたしは通知のバナーをタップし、記事を開いた。

その記事からわたしが得たのは、

「耳たぶからまっすぐ人差し指を振り下ろすと必ず乳首に行き着く」

という、人生の中で最もどうでもいい部類に入るであろう知識だった。
くだらなすぎる知識にキョヌウの内を弄ばれ、睡眠妨害をされていることを甘んじて受け入れるどころか、楽しんでいることに気がついて、そんな自分に少しだけ幻滅した。

独り寝をするようになって久しいわたしが理想とするベッドの中の自分は、しどけない寝姿の自分である。
寝巻の胸元から谷間なんかをちらりと覗かせ、なんなら買ってみたはいいもののいつ着るか分からないレースのスリップなんかを寝巻きがわりにしてみたりして、夫がうっかり寝室に入ってきてしまうハプニングが起こった時に、そのままちちくり合うような展開になってもいいよう、準備を整えておきたいと思っている。
でも、今のわたしはどうだろう。
衿もとが伸びたちいかわのTシャツ(しまむら産・毛玉だらけになったのでパジャマに降格)、リラコ(ユニクロ産・お気に入り過ぎて捨てられない何年も前の着古したスナフキン柄)、ノーブラノーパン、そして脳みそは「耳朶垂線の法則」に汚染されている。
しどけない寝姿どころか、どこからどう見てもだらしないキャラ物好きのセンス崩壊おばさんである。
葵さん以外のティコ族には、こんな姿を見せることはできない。見せたら幻滅される。葵さんはきっと、同性同士なのであるあるだと笑ってくれると思う。
ちなみにわたしがよく似ていると言われる有名人は、遮光器土偶である。色気も何もあったものではないと申し添えておくために話題に出した。ただ、こいつよりはおっぱいは大きいと言わせてほしい。三十八にもなると、マウントをとる相手が土偶くらいしかいないという悲哀。駄菓子菓子、彼女は国宝なのでわたしに勝てる要素など何もないのである。
それはそうと、理想とのあまりのかけ離れっぷりに推しへの怒りが一瞬込み上げたけど、耳朶垂線の法則による脳内汚染はともかく、格好については完全に自己責任であると思い直すことができた自分を褒めてあげたい。
遮光器土偶に関しては親の責任なので、いつか製造者責任法にのっとって訴えたいと思っている。

翌朝、ろくに眠ることができなかったわたしは、衿がだるんだるんに伸びたちいかわのTシャツを脱ぎ捨て、洗面所の鏡の前に離れ乳と乳輪、乳首を晒して立っていた。
手にはリトルミイのぬいぐるみメジャーを携えて。
ちなみにこのメジャーは、何年も前のリンネルか何かの付録である。ミイの体内にメジャーが格納される仕組みになっている。
わたしはやおらメジャーを伸ばし、ゼロの目盛を右の耳たぶに合わせた。
右の人差し指と親指で耳たぶとゼロの目盛を挟む。
メジャーのミイ部分を持っていた左手を離すと、彼女は赤いワンピースを着てニヤリと微笑んだまま落下していき、太ももの辺りで止まる。今頃リラコの柄となったスナフキンと、姉弟感動の再会を果たしていることだろう。
耳たぶからは白いメジャーが重力に従ってまっすぐに伸び、乳首をぎりぎり隠す。
余談だけど、残念ながら乳輪は隠れなかった。そりゃもう、ぜんぜん隠れなかった。乳輪の大きさと乳房の大きさは比例するから仕方ない。

前夜、寝る直前に得た人生の中で最もどうでもいい部類の知識が、本当であることが証明された。
わたしは嬉々としてメジャーを使って耳朶垂線の法則を検証した旨を、推しへコメントで伝える。
最近はコメントをすることを控えていた。
忙しそうだから、「読んだよ、面白かった」のスキを贈るだけ。
だから、余計に「嬉々」がこもってしまった気がする。
コメントさせてくださってありがとうございます、これでしばらく生きていけます、元気でいてくれることが何よりのファンサです、同じ時代に生きている幸せ、生まれてきてくれてありがとう。
そんな気持ちが文字の隙間から漏れ出ていたかもしれず、それがティコ族歓喜の情報をうかつにも流してしまったことにも通じている気がする。

そしてこの記事で推しが言いたかったのは、耳たぶから真下に降りていくと乳首がある、ということではなく、人差し指が確実に乳首をとらえるということである。
人差し指と乳首ののっぴきならない関係については、まだ他に語りたいことがあるので、後日記事にするかもしれない。

ふと思う。
わたしはこんな人間だっただろうか。
推し大好きマンであることはわたしの人生においては平常運転であるからいいとして、耳朶垂線の法則を重力とメジャーの力を借りて、わざわざ宵越しの検証をするような人間だっただろうか。ここで言う推しはコニシさん(あ、名前出しちゃった)には限定しません、念のため。

半年前まで、わたしは品行方正かつ極めて常識的な教育公務員としてうまいことやっていたはずだ。
SNSなんてやっていなかったし、裏の顔なんてなかった。
嘘。あった。コミックシーモアの購入履歴がBLコミックのみで埋まっていること。それがわたしの裏といえば裏。でも、そんな「裏」は些細なことにすぎない。「裏」具合で言えば、今の方がよほどおかしなことになっている。
自分の乳事情や乳首の話なんて、たとえネット上であろうと恥じらいが先に立ってできなかった。
それが今や、積極的に自分の乳首情報を開示するようになってしまっている。時には下着の色までご開帳の大サービス。
このnoteアカウントが職場に知られてしまったら、わたしはきっと信用失墜行為で職を失うに違いない。

すべてが狂いだしたきっかけ、というものを思う。
考えるまでもなく、答えはひとつしかない。
路地裏。
真実はいつもひとつなのだ。

わたしはただ、「なんのはなしですか」と言ってみただけ。
その一言で、わたしの発信の方向性はおかしなことになってしまった。
最初はノート術やコーチングの話をしたくてこの街に降り立ったのではなかったか。
これは一体誰の責任なのだろう。
半年前まで、わたしは極めてマトモな人間だったはず。言い換えれば、なんの面白みもないクソ真面目で規範的な人間だったはず。「なんのはなしですか」と記事にしてみるまでは。
わたしの軸がブレているとか、変わったとか、そういうふうには思わない。
模範的教育公務員であったもともとのわたしの中に、路地裏のわたしが実は前から住んでいて、そちらがメイン人格に成り替わったということなのだろうか。

実生活でも、「最近よく笑うようになった」と言われる。
同僚にとてつもなく嫌いな男がいたけど、「どうでもいいか」と思えるようになり、そう思えないことは「どうかしているとしか」と面白がれるようになった。
管理職の与太話、つまり平たく言うと、「人も来ないし給料も変わらないけど、今月から産休に入る人の分カバーしてね」という話も、「なんのはなしですか」とスルーしている。
路地裏マインドで実生活のさまざまな局面を乗り越えようとしているわたしがいる。
模範的教育公務員だったときよりも、謎の体調不良や生理周期に起因する不調が少なくなった。
「死にたくなったら白、殺したくなったら赤」の格言のもと、命の母に頼っていた時期が長く続いていたけれど、この六月からは一度も服用していない。

いい意味で適当になったのだと思う。
力が抜けて、知らず知らずのうちに自分を痛めつけること、責めることが減った。

職業柄というか、職務柄というか、さまざまな背景を背負った大人と話す機会が多い。
そんな中で実感したことがある。
大人は変わらない、ということだ。

なかなか変わらないはずの大人であるわたしは、この半年で大きく変わった。周りの人にも恵まれた。
おかしな方向に、ではあるかもしれないけれど、生理前に死にたいとか殺したいとか思わなくなっただけで、QOLは爆上がりである。
そのかわり、恥じらいや奥ゆかしさなどというものはどこかへ消し飛んだ気がする。仕方ない。ゆかしさを保持したまま、己の乳首やノーパンで過ごした夏の一日などをネタになんてできるわけがない。すべてを手に入れることはできないのだ。
ここまできたら、自分はどこまでおかしくなれるのか、その行く末を見届けたい。
わたしは未だ、移ろう途上である。たぶん。



#なんのはなしですか
#どうでもいいか
#どうかしているとしか



この記事は、みくまゆたんさんの「 #自分語りは楽しいぞ 」企画に参加しています。
自分語りが平常運転なので、それだけじゃ企画参加記事としては不十分なんじゃないかしら……と頼まれてもいないのに推し語り要素も入れました。
みくさんのまとめ記事を読んでいたら、皆さんとても真面目に語ってらして、創作大賞に続いてまた場違いをやらかしている気がしました。
でもティコは止まらねぇ!!

#自分語りは楽しいぞ

わたしの睡眠を妨げ、自らの変容を振り返るきっかけとなった記事はこちら