性器の呼称を恥じらいも衒いもなく言えたら淑女の証だと思う
こんばんは。
アメノウズメ宣言の翌日には「ちんちん」を連呼した記事をアップし、下品な人間である疑惑が加速しつつあるめぐみティコです。
わたしのことを上品な奥様だと思ってフォローしてくれたみなさん、ごめんなさいね。
中身はこんなもんです。
(挨拶文こなれてきた気がする)
昨日の記事で、創作やってた人間だと告白したばかりですが、エッセイに手を出そうと思ったきっかけもございまして。
それが、こちら。
なにこれ。
なんなの、このタイトル。
ファーストインプレッションはこんな感じ。
まだアラサーの、自分の中にもそんな言葉が眠ってるなんて気づいてもいなかった頃。
でも、手に取らずにいられませんでした。
文庫版が出たばかりのころ、本屋さんで平積みになっていて。
BL漫画を買うよりよほど周囲を気にしながらレジまで持っていき、いつもなら断るカバーをかけてもらって併設のカフェで一気に読みました。
noterさんはこの本読んでる人多そう。っていう勝手なイメージ。
これを読んでから、エッセイや私小説って表現もいいなぁと燻り続けており、今年このプラットフォームで種まきをはじめたわけです。
最近、数年ぶりに再読したのでまた読書記事上げたいと思っています。
が、わたしの読書記事のタイトルは「【読書ノート】『書名』 著者名」なので、タイトルでいきなり「ちんぽ」って言うことになります。
その時は躊躇わずに記事を開いてもらえたら、大変助かります。
いや、あのねぇ……。
実は去年あたりまで、「ちんちん」とか夫以外の前で言えなかったし、Webの海にわたしの言葉として放流するとか恥ずかしくてできなかったんですよ。
キャリア長めの腐女子なのに、「ちんちん」が言えないとかモグリじゃんってわたしもそう思いますが、事実だから仕方ない。
あ、「ちんぽ」は夫にも言ったことがない。言う必要があるかと言われたら、ない。
必要があるのでこの記事で初めて言いました。
わたしのファーストちんぽは読んでくださっているあなたのものです。受け取ってください。
仕事で特別支援教育やっているので、性まわりの問題って結構生じやすいんです。
パンツの中に手を入れちゃうとか、女の子でも感覚過敏でスポブラやカップ付きインナーが着られなくて……とか。
(Amazonアソシエイトを利用していません)
お子さん、特に息子さんがいる同僚は、「ちんちんは人前で触らないよ」と子どもにそっと注意できるし、情報共有するときも「ちんちん問題は根深いから……」とかさらっと言えるんですけど、わたしは言えなくて。
それを「帰りにガソリン入れてかなきゃ」とか「今日の晩ごはん何にするの?」とか、そういうテンションで言える女性、というものに長らく憧れてきました。
そこに恥らいがあるのは、わたしがまだまだ未熟者で、自分の延長上にあるものだって思えてないからなのです。
おかしいよね、性器って自分の体にひっついていて、大体の人は一生を共にするものなのにさ。
不妊治療について書くってなったら、どうしても性器まわりとか性行為の話にも触れないといけなくなるし、もう腹くくるしかないじゃん。
そこ恥らってたら何も書けない。伝わらない。
粛々と書く。特別な思い込みや自我は排除してとことんやる。
これって、多分、ある程度年齢と経験を重ねないとできないなって思うんですよね。
若いときってどうしても清廉潔白でありたいというか、
「わたくしトイレにも行きませんしセックスなんてしませんの。ええ、経験はありましてよ? でも、あんなのどうってことありませんわ」
みたいな顔したくなりません?
いや、どうってことないんだけど。
どうってことないんだけどどうってことなくないっていうか。
非常に動物的な営みだけど、自分は理性的な人間だから、そんなもの知りませんってすまし顔でいたくなるっていうか。
そこを捨てられるのが、わたしの場合はちょうど今くらいの年齢だからなのかなーって。
品位を保ちつつ軽く、真面目に話せるようになるのって、酸いも甘いも噛み分けつつある今だからこそ、ってこともあるんじゃないかな。
こだまさんも、きっと「入らない」問題に直面していた10代、20代のときにはあのタイトルは書けなかったと思うんだよね。
がんばろー。
参加しています。56日め。