めぐみティコ(38)、小学生にみたび翻弄される
noteの街の路地裏にてティコ族とかいうどうかしているとしか思えない方々の寵愛を受ける一方、推しであるコニシさんへの偏愛は一向に受け取ってもらえていない。そんなわたし、noteの街の外では何をしているかというと、いっちょまえに公立小学校の教員なんぞをやっているのである。
このことについては、コニシさんはじめ色々な方々から詐称ではないのかと疑惑を投げかけられているけれど、本当のことなので覚えておいていただきたい。と、なんとなくの流れで偉そうに「覚えておいていただきたい」とは言ったものの、覚えておくメリットは特にありません。
一応子どもに関わる身なので、おかしな目に遭わないよう自衛をしているつもりではある。それでも時々、避けられないような事態が起こる。例えば、以下のような。
これは日々おっぱいと子宮について書いているわたしが小学生noterにんじん君さんに「おもしれー女」扱いされ、どうしたら事案を回避することができるのか奮闘した記録である。
その後、彼との関係は終わったはずだった。わたしたちの間には何も起こらなかった。
しかし、そう思っていたのはわたしだけだった。数ヶ月のときを経てこの記事が彼に見つかり、こともあろうにフォローされてしまったのだ。職務柄、仕事以外で未成年と不用意に関わることは避けたいと思っているので、わたしからはなんのアクションも起こしていない。
とはいえ監視されていることに変わりはなく、わたしの社会的死はもはや時間の問題かもしれない。
そして、マイトンさんときのこたけのこ戦争を繰り広げていた頃にはこんなこともあった。
自分の担任している子に「先生、きのこたけのこ戦争って知ってますか」と聞かれたわたしが、身バレの恐怖に慄いた記録である。
駄菓子菓子。
あれから、わたしは一度も管理職に呼ばれず、教育委員会の懲罰委員会にもかけられず、平穏な日々を送っている。
目下の危機は脱したと言っていい。
そう、思っていた。
十月十五日まではーー。
わたしの勤務校では、放送委員会による朝の放送があり、その中のいちコーナーとして「今日は何の日?」というものがある。
日本は祝日が諸外国に比べて多いと言われているけれど、法律で認められているもの以外にも様々な記念日が存在している。有名どころだと、八月九日はパグの日とか、十月十日は目の愛護デーとか。
そんな、カレンダーに載らない記念日を紹介するコーナーである。
十月十五日、八時十五分。
その日は朝からどんよりと曇っていて、教室の中も薄暗かった。三連休明けということもあり、子どもたちにもなんとなく覇気がない。
わたしも無理やりにテンションを上げて「おはよー!」と言いながら学級の子たちを出迎える。小学校の中だから通用するテンション。普通の会社でこんな挨拶をする三十八歳がいたら、それは完全にヤバい女だ。三十八歳、痛々しいカラ元気である。このカラ元気で、わたしは今日も飯を食っている。
「先生、昨日までおばあちゃん来ていて宿題できませんでした」
「じゃあ朝のうちにやって」
「先生、お金持ってきました」
「職員室に行って田中さんに渡してきて」
「先生、消しゴム忘れました」
「はい、これ使って」
朝は基本的に毎日こんな感じ。
健康観察、出席簿の処理、連絡帳や宿題のチェック、配布物の仕分け、規定の時間までに登校していない児童への連絡依頼などなど、ルーティンを片付ける。何が起きているのかわからないうちに時間が過ぎていく。
「今日十月十五日は、きのこの日です!」
宿題にはんこを捺していると、明るく弾むようなBGMを背景に、スピーカーから子どものそんな声が聞こえてきた。
今まで聞き流していた、というか、耳にも入っておらず、始まっていたことにも気が付かずにいた朝の放送、そしてそこから都合よく「きのこ」のワードだけを抽出するわたしの聴覚。
一瞬手が止まるも、違う違う、ここはnoteの街の路地裏じゃない、今のわたしは世を忍ぶ仮の姿、と雑念を振り切り、宿題にすみっコぐらしの「たいへんよくできました」はんこを捺す作業に戻ろうとした。
「きのこの消費拡大と、生産振、興を図るため、きのこに対する正しい知識の普及……啓、蒙活動を積極的に推進して、消費者にきのこの有用性や調理、利用方法の、浸、透を図るために、日本……特用林、産振、興会によって制定されました!」
きのこの有用性は知ってるよ。きのこっていうかタグの調理、利用方法はご自由に、だよ。「 #なんのはなしですか 」って付けることだけが唯一のルールなの。
というか調べたことそのまま読み上げるんじゃなく、一年生にも分かるように言い換えて伝えようか。君もその言葉の意味、ほとんど分からずにしゃべってるでしょ。切るところおかしいもの。それじゃ「なんのはなしですか」って思われて、「どうでもいいか」って聞き流されてしまうじゃない。
模範的教育公務員であろうとするわたしの心がけとは裏腹に、世を忍んでいない本来の姿が顔を出してくる。
「教師であるわたし」の時間帯にも、「ロジウラーであるわたし」がどんどん侵食してきていて、我ながらどうかしているとしか思えない。
軽めの動揺をしているわたしの前に、一人の女子が宿題を差し出しながら近づいてきた。
「なんのはなしですか」
以前わたしに「きのこたけのこ戦争って知ってますか」と聞いてきた彼女は、今確かにそう言った。断じて聞き間違いなどではない。
カマをかけられているのだろうか。
わたしが路地裏の住人であることを知っている?
夫だけでなく、教え子まで路地裏にいるかもしれない疑惑が浮上している、そういうこと?
夫も彼女も教育委員会のスパイかもしれないと考えると、なんとなく筋が通っている気がした。
外堀から埋められていって、身動きが取れなくなってから何らかの処分を下されるのかもしれない。
わたしはますますパニックに陥りながらも、冷静であることを装うのを忘れなかった。
ここでおかしな挙動、言動をしてしまったら、わたしが電子の海に怪文書を投棄していることがバレてしまうかもしれず、そうなれば信用失墜行為として懲戒待ったなしである。
なんとかこの局面を切り抜けなくてはならない。何しろ、目の前にいるのは敵方のスパイなのだ。
「何が?」
「今の放送、きのこがどうとか言ってて、ちょっと意味がわからなかったのでなんのはなしなのかなと思ったんです」
「なんのはなしかわからないはなしだから、意味なんてわからなくて当然なの。路地裏ではみんななんのはなしかわからないはなしをしていて、くだらないことを全力で楽しむのが流儀なの。そしてその下地を創ったのが、コニシ木の子」
そんなふうに答えるのが、ロジウラーとしての正しい在り方なのだろうと思う。
でも今のわたしは模範的教育公務員。コニシ木の子なんて人知りません、路地裏ってどこですかそれ、という顔をしていなくてはならない。心苦しいけど。
この子が大人には裏の顔があるということを知るのは今じゃなくていいし、そのきっかけはわたしでなくてもいい。
「今日はきのこの日です、ってはなし」
ふうん、あたしきのこ嫌いなんですよ、と言いながら彼女は朝の支度に戻っていった。納得したかはわからない。わたしが社会的な死を免れたのかどうかも分からない。
ただ、今のところ管理職にも呼ばれていないし、教育委員会の懲罰委員会にもかけられていない。以前のようにこのまま切り抜けられるのでは、と思っている。
こんな事態にも少し慣れてきて、いささか舐めプ状態であることは否定できない。
家庭及び学級の中に教育委員会のスパイが潜んでいる前提で、改めて気を引き締めていこうと思う。
最後に吐き捨てられた「きのこ嫌いなんですよ」に少しだけ傷ついたことは、わたしの胸の中だけに秘めておこう。
きのこに抱く格別の思いをにおわせることさえ、命取りになるかもしれないから。
それでも、だ。
ある日突然更新が途絶えたり、アカウントが消えたりしたら⋯⋯
わたしが非業の社会的死を遂げたか、崩れてきた跳び箱の当たりどころが悪くて殉職したか、パグ姉妹の抗争に巻き込まれて命を落としたかのいずれかだと思い、冥福を0.2秒でも祈ってもらうとともに、通信のタイトルにわたしの名前を入れて番号を算用数字にしてもらえたら嬉しいです。