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めぐみティコ(38)、小学生に四たび翻弄される

以前、こんな記事を書いた。

これは、noteの街の路地裏の外では小学校教員という姿で世を忍んでいるわたしが、身バレの恐怖と戦いながら自らの教え子に弄ばれている、涙なくしては読めない一代記である。

「先生、きのこは和語ですよね?」

目の前にいる教え子の質問に、わたしは思わず例の呪文を放った。


「なんのはなしですか」


ごくごく自然にこの言葉を紡ぎ出した自分の唇。
この唇は、本当にわたしのものなのだろうか。わたしのものだとして、今放ったこの呪文は、わたしの意思によって詠まれたものなのだろうか。
自分の耳で己の発した「なんのはなしですか」の音を認識し、わたしは思わず戸惑いの表情を浮かべたのだと思う。
目の前の彼女、かつてわたしに「きのこたけのこ戦争って知ってますか」と問い、十月十五日はきのこの日であるという朝の放送に対し「なんのはなしですか」と詠唱した彼女は、わたしの顔を見てニヤリと笑った、気がした。

罠だったのかもしれない。そうだとしたら、わたしはまんまと引っかかったのだ、間抜けなことに。
ああ、なんでこんなことになってしまったのだろう。
わたしはこの授業がなんの学習はなしだったのかを思い返していた。教え子が鉛筆をノートに走らせる音が聞こえる。
その音は己の教師人生の終わりが近づいている足音なのかもしれない。そんなことを考えながら。


国語の教科書に『和語・漢語・外来語』という題材が載っている。日本語の語句は成り立ちを元に分類することができ、言い換え可能なものも多くあるからTPOに合わせて適切に言葉を使い分けましょう、というなかなか高度な内容である。
例えば、「山登り」と「登山」はどちらも同じことを指す。
「山登り」は日本にもともとあった言葉を組み合わせた単語で「和語」。「登山」は古い時代に中国からやってきた言葉が日本語化したもので、漢字の音読みだけで構成された「漢語」。これらの言葉に該当する日本語化した外来語、となると「クライミング」。ただ、微妙なニュアンスが異なってくる気はする。

「つまり、『和語』は漢字とひらがなで書くことが多くて、『漢語』は漢字だけで書かれる熟語ってことですか」

なかなか飲み込みの早い児童である。賢い。
特別支援学級で担任をしているので、交流学級との兼ね合いによっては授業がマンツーマンになることがある。この日もそんな日だった。
いくつかの例文をもとに、言葉を和語と漢語、外来語に分類する課題を与える中で放たれたのが、冒頭の問いである。

なぜ、敢えての「きのこ」チョイス。
数多ある日本語の語句の中から、どうしてピンポイントで「きのこ」。
教科書にも、わたしが自分で作った例文にも、「きのこ」を彷彿とさせる言葉は何もなかったはずだけど。
こんな状態でしれっと「きのこは和語ですよね?」と言えるあなたの脳みその中がどうなっているのか、先生は知りたいです。己の保身のために。

この子はわたしがnoteの街の路地裏で好き勝手に遊んでいるのを監視、あわよくば信用失墜行為として懲戒しようとしている教育委員会のスパイなのではないか。
以前からそんな疑惑がわたしの中で芽生えていたが、いよいよその疑いは濃厚となってきた。
でなければ、なんの脈絡もなく「きのこは和語ですか?」と聞けるはずがないのだ。日常生活でなんのトリガーもなく思い出さないだろ、「きのこ」なんて単語。

内心パニックに陥っている。でも、ここで焦ったりしたらスパイの思うつぼだ。
教育委員会に「先生はやはり路地裏の住人です。わたしがきのこの話を持ち出したら、様子がおかしくなって『なんのはなしですか』と言っていました。推し活と称して、頭のおかしな記事ばかり書いています。お母さんも『先生がこんなこと書いているの』とショックを受けていました」と報告されたりしたら、たまったものではない。
わたしは平静を装いながら、今しがた「なんのはなしですか」と言ったことなど忘れた、というように

「なんで、きのこ?」

と問い返してみた。彼女はまたニヤリと笑った、気がした。

「今日の給食、きのこご飯じゃないですか。あたしきのこ嫌いなんですよね」

彼女が握りしめる白い鉛筆、その先のノートには、「和語:山登り 秋 お昼ご飯 木の子 もみじ」と書かれていた。
わたしの日常は、いよいよ侵食されているのかもしれない。
そう思いながら、一般的なきのこの表記は「木の子」ではなく「きのこ」であることを伝えた。

なんの授業はなしですか

きのこの表記について教室で語る日が来るなんて。
これすらわたしの反応を見るためのお試しなのかもしれない。


上記の通り、わたしのすぐ背後には教育委員会のスパイが迫ってきている。管理職に呼ばれ、懲罰委員会にかけられる日も近いだろう。
ある日突然更新が途絶えたり、アカウントが消えたりしたら⋯⋯
わたしが非業の社会的死を遂げたか、学習発表会のピアノ伴奏で指を骨折して殉職したか、最近降りはじめた雪に足を取られて命を落としたかのいずれかだと思い、冥福を0.2秒でも祈ってもらうとともに、通信のタイトルにわたしの名前を入れて番号を算用数字にして、かつつぶやきにてめぐみティコの路地裏における功績を捏造してでも讃えてもらえたら嬉しいです。


まじでなんのはなしなんだよ……

「わたしの文章も朗読してもらえたら嬉しいな | ᐕ)チラッ」みたいなことをぽろっと書いてみた。
そしたらね、聞き届けてくれた天使がいた。

わたしのエッセイが音声になりました。
なんでも言ってみるものですね。
ありがとうございました。冥土の土産になるのかもしれない。