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死神に背中を押されたわたしは、生地を売るしかない。【路地裏のティコの後始末】

「あの人、妊娠してるんじゃないかな」
「あの人、近々休職しそう」
「この人、退職するんだろうなぁ」

昔からそんな「気がする」が次々現実となるため、直感というものが人より優れている自覚がある。鼻が利くというのか、その人の言葉の裏、行動の奥に秘められたものが見えてしまう。
それが「ぶっきらぼうな言動に隠された優しさ」みたいな、雨の中捨て猫を拾うヤンキーのような甘いものなら微笑ましいのだけれど、世の中そんなにふわふわしていない。一見崇高なものにうまくカモフラージュされたエゴや欲望、みたいなものが透けて見えて、勝手に疲弊している。
人の心は、デコレーションケーキみたいなもの。クリームやフルーツで見栄えよく飾り立てていても、中のスポンジがどんな状態かは分からない。これがわたしの、四十年弱の人生で培われてきた人間観である。

先日、レイブンクローを出てスリザリンに行く、という旨の記事を出した。
つまり、わたしの主な表現の場だったところから出てもっとでかい舞台に挑むぜ、という宣言のようなものだ。その気持ちに偽りはない。

でも、それだけではなかったりもする。
あの場所と、書くことをやめないでほしいと命を削ってあの場所を創ってきた彼には感謝(という言葉ではあまりに軽すぎる)しているし、書き手としては変わらず大好き。だけれど、というべきか、だからこそ、というべきか、わたしは出ていかなくてはいけないと思った。
少しずつ違和感を覚えていたところに、わたしにとっては決定的な一撃が放たれた。でも、みんなが受け入れて喜んでいるのなら、そこに戸惑いや反発を覚えたわたしは、異分子なのだ。
わたしはただそこにいただけの、いち書き手に過ぎない。何か違う、と思っても、彼がそれを良しとしたのならばわたしの抱いた違和感はお門違い。
異端は死なず、ただ去りゆくのみ、である。

違和感なんて、放っておいてもよかったのかもしれない。気がつかないふりをして、これまで通り楽しく遊んでいてもよかったのかもしれない。
だって、そんなこと言葉にさえしなければ、誰にも分からないことなのだから。
でも、そうすることによるメリットがないと思った。
楽しいはずのことを楽しめなくなったら終わり。
無理に続けたら、書く行為からも離れていってしまうような気がした。
何より、誠意がなさすぎる。皆が楽しんでいる中、モヤモヤを抱えながら楽しいふりをしていることは、あの場所や彼への冒涜だと思った。
そんなことをしてしまったら、わたしはわたしを許すことができそうにない。

この選択をするにあたり、「間違っていないよ」と誰かに言ってほしくて、買ったばかりのタロットカードを引いた。
出てきたのは死神の正位置。「死と再生」を表すカードである。
環境が変わっていくのは当たり前のこと。新たなスタートを切るつもりなら、手放す覚悟を決めなさい、と言われた気がした。
わたしの直感は人より優れている上に、占いまで当たるらしい。直感が冴えているから正しく背中を押してくれるカードを選べる、ということも言えそうである。
いずれにせよ、良い決断だったと来年の、ひいてはもっと先のわたしに胸を張っていたい。

もし凱旋することがあるのならば、それは彼の夢である「路地裏出身作家を生み出すこと」をわたしが叶えたときだ。一緒に楽しむことから離脱したわたしが彼に報いる方法はそれしかないし、それができるのもわたしだけだと思っている。
わたしがあの場所から出てでもやりたいと思っていることと、あの場所で動いているプロジェクトの方向性は全く違うのかもしれない。どっちがいいとか悪いとか、そういうことじゃない。目的地は同じだと思う。ただ、行き方が違うだけ。
わたしはわたしの理念を曲げられず、海図も持たず単独で漕ぎ出した。途中で藻屑と消える可能性だってある。運良く目的地についたときには、人相とか人格とかが変わっていて、誰にも認知してもらえないかもしれない。どうなるか分からない。自慢の直感も、自分のこととなると途端に鈍る。だから、タロットを買ったのだけど。
一方、わたしが離脱した場所には、航海士がきちんといる。安全に楽しく目的地までの海の旅へと誘ってくれるはずである。
我ながら馬鹿みたいな方法を選択したものだ。

どこで何を書いていくにせよ、わたしのやるべきことは変わらない。
整っていないことを自覚していながら、中のスポンジを隠してデコレーションケーキを売ることはできない。スカスカでも、パサパサでも、生焼けでも、傷んでいても、美味しく食べられるものでも、分け隔てなく、きちんとお客様に見える状態で「これがわたし」と陳列するシフォンケーキ屋でありたいと思う。
別にドーナツ屋でもマドレーヌ屋でもなんでもいいんだけど、要するに芯の部分をしっかりと見せられる人間でいたい。そもそも、デコレーションのセンスが壊滅的なのである。生地の味で勝負するしかない。

そんなことを、年の瀬に考えている。





フェスが終わるまでは、黙っていようと思いました。水を差したくなかったから。
フェスの最中のあのタイミングでスリザリン宣言なんて、本当は良くなかったのかもしれない。余韻に浸りたかった方の、その大切な気持ちを壊してしまったかもしれない。ごめんなさい。
でも、今年最後の回収でどうしても伝えたかった。わたしなりの、もしかしたら棘のあるありがとうを。
路地裏のティコを終わらせるための記事でした。エゴ丸出しだけど、許して頂けたらありがたいです。

このあたりのことについて、根掘り葉掘り聞いてくれるとのことで。
12月20日(金) 22時〜
『緊急企画!  どうしためぐみティコ
⁉️  げんちょんがまとめてアレコレ聞くぞSP‼️
企画してくれました。彼のチャンネルにわたしがお邪魔する形になります。ありがとう。
……下着の色聞かれるっぽい🤔

⬆️こちらのチャンネルに遊びに行くよ。

⬆️詳しくはこちらをご覧ください。
こういうことをしてくれる人と出会えたっていうのが、今年いちばんの収穫だなぁと思っています。
ありがとう。


RaMさんが以下の作品でわたしのことを登場人物の「モデル」として紹介してくださいました。

黒猫さんのもとの飼い主さんがわたしのイメージなのだそうです。自分がお話書く人間なので余計そう思うのですが、誰かの小説のモデルになるなんて名誉なこと、生きててそうそうない。本当にありがとうございます。

それでね、もと飼い主さんが主人公のお話がこちらなのですけど……

数ヶ月前に今のわたしを予言されている……!!
鳥肌が立ちました。
ぜんぶ、ちゃんと正しく繋がっているね。
わたしの中にしかない世界を言葉で顕現させようとしているので、目に見えない世界の概念や真理なんかも信じたい。

大きなエールを頂いた気がしました。ありがとうございます。


見てないと思うから言うけど、かなり泣いた。

こんなに泣く予定なかったのになぁ。
もっとさらっと、コンビニ行く感覚で出て行けるって思ってたのになぁ。
でも、キョヌウを張って「やりきったよ」って言えるまでは戻らない。


例のプロジェクトが、今回のことの引き金になったことは間違いありません。それは否定できない。
そこに触れずにいるのもな……と思いました。なんか、嘘っぽいっていうか。
でも、関わる人も多いものだし、コニシさんとお話をしたうえで、この記事を出しています。

嫌な思いした人も、きっといるよね。でも、嘘はつけないの。ごめんね。