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つまくれない

30代も半ばにさしかかってからのこと。
赤いマニキュアに惹かれるようになった。
誰に見せるわけでもないけれど、金曜の夜に爪を赤く塗る(たまに赤じゃない時もあるけど。めんどくさくて何もしないときもあるけど)ことがわたしの習慣となっている。

若い頃は、赤い爪なんて好きじゃなかった。
ギラギラした感じがして、わたしは絶対あんな下品な女にはならないと思っていた。
おばさんの赤い爪なんて最悪の罪悪だ。
いつまでも女なのよ、と言いたいのだろうと勝手に決めつけ、自己中心的な嫌悪感を募らせていた。
わたし自身のことをいえば、職場が長期休業に入る時には、サロンを予約して淡いピンクにストーンやラメを散りばめたネイルをしていた。
誰かに可愛いと言われたくて選んだ爪。
まだ世の中のことを何も知らなかった、そのくせ自分たちは他のどの年代の女よりも価値があると思っていた、20代前半の頃のことである。
だからこそ、可愛くいられた。可愛いだけで何とかなった。

あれから十数年が過ぎ、わたしは当時のわたしが最悪の罪悪と嫌悪していた赤い爪のおばさんになっている。
20本の爪すべてを赤く染め、変な柄の服を着て街中を歩く。地元のスターバックスで手帳を書く。家の中でnoteの記事を書く。
それだけで楽しく、機嫌よくいられるのだから、何ともお得な性分。
スクエアオフに整えた爪に赤いマニキュアを丁寧に塗れば、他にはラメもストーンも何もいらない。
赤一色の爪は、わたしにとって「自分の機嫌は自分でとります」という意思表示のようなものだ。

無知で、ばかで、遅れてやってきた幼児万能感に浸っていた、ピンクのキラキラネイルだった頃。
あの頃のわたしは、「可愛い」に全振りしていたし、その成果もそれなりにあった。
でも、自分のことは自分で何ひとつできなかった。
彼氏が髪の毛を切ってもほめてくれなかったから。
上司が嫌味ったらしくどうでもいい書類の不備を指摘してきたから。
お気に入りのコスメが廃番になったから。
ライブのチケットが取れなかったから。
何かと外側に理由を見つけては、いつも怒ったり、不機嫌になったり、悲しんだりしていた。
自分の気分さえまともにコントロールできず、正常な判断能力のある友人を何人か失った。
判断能力がどうかしている彼氏が手元に残り、後に夫となった。
どうでもいいか。

赤いマニキュアに惹かれるようになった日は、母になることをあきらめた日だった。

沈んでいた。
でも、毎日はわたしの外側で淡々と過ぎ去ってゆく。
仕事はわたしの事情に関係なくやってくるし、世話なしには生きていけないパグ姉妹やヘビ、トカゲもいる。
いつまでも水底にずぶずぶとたゆたっているわけにもいかないことも分かっていた。
主治医に最後の胚もだめだということを告げられ、「不妊治療やめます」ということを伝えたその足で、CHANELのカウンターに行った。
独身でも母でもない、そしてその立場を自分で決めたわけでもない、フラフラした中途半端な自分を生き抜くためのリップスティックが欲しかった。
自分に誇りをもって働く自立したいい女、ココ・シャネルの力が必要だと思ったから。
でも、わたしはマニキュア、ヴェルニの08番を衝動的に購入していた。
理由は分からない。ただ、無性にその爪になりたかった。
フランス語で「海賊」を意味する名をつけられたその色は、真紅に一滴、墨を落としたよう。
爪にのせるとしっとりと色っぽく、墨色の分だけほんの少し気だるげで頽廃的だった。
そしてその色は、わたしにとてもよく似合っていた。
この指先なら、生涯走り抜けられる。そう思った。

その日から、私は週末ごとに爪を赤くしている。
季節ごとにトーンを微妙に変えられるよう、CHANELの赤系ヴェルニを何色か揃えた。

赤いネイルが似合う年齢、風格というものがあるのだと、今は理解できる。
酸いも甘いも噛み分けつつあり、人生に慣れてきたからこそ、赤い爪にしても良いとマドモアゼル・シャネルから許しが出たのだと思う。
赤い爪は、孤高の証。
凛として格好よく、女であることを心から謳歌している、そんな気高さがある。
あの頃嫌悪していた赤ネイルの女性も、女であることを楽しんでいたに違いない。
いつまでも女なのよ、と言いたいのだろうと決めつけていたが、そんなの決めつけるまでもなく当たり前のことだった。
女はいつまでも女。そして年齢を重ねる毎に、楽しくなってくる。
自分を中心に据える覚悟が決まったら、他人ウケを意識したピンクのネイルなんて必要ない。
赤いマニキュアひとつあれば、それで生きていける。


古くは、鳳仙花ほうせんかで爪を染めていたという。
別名を爪紅つまくれないというその花の花言葉は、「触れないで」。
それと同時に、「心を開く」というものもあるのだとか。

「心を開く」まで「触れないで」。

綺麗な指先で、心から触れ合いたい。
爪を染める乙女心を見事に表していると思い、そしてその裏に見え隠れするつやっぽい願望に胸が躍る。


先日、文字通り命を削ってエッセイを書いた自分へのねぎらいとして、新しくヴェルニを1本、迎え入れた。
わずかに朱色がかったその赤は、夏によく似合う。
頽廃的な赤も素敵だけれど、明るくわらう赤もいい。
その時々で自分に相応しい赤い爪に着替えながら、削った命をまた少しづつ拾い集めていきたい。


人生を全部出してもわたしまだ書ける。これで命を使う


命を削った創作大賞応募エッセイ。


わたしの所に来てくれる人で、読んでない人なんているのだろうか。ほんと、創作大賞とってほしい。


⬆️に対するわたしの感想文。ベストレビュアー賞お待ちしております。


今週もありがとうございます。大変潤います。
こんど創作大賞路地裏賞受賞式やるので、おふたりの課長はぜひいらしてください。場所は蝦夷地です。飛行機代は出ません。でも涼しいと思います。