めぐみティコが野望を一方的に語ってくるnote
なんとなく気恥ずかしくて、具体的には記事にしてこなかったことがある。
でも、今ならできる気がする。
というのは、静森あこさんのこんな記事を読んだから。
あこさんに勇気を頂いて、わたしも野望を書いてみることにする。
わたしは普段、主にnoteの街の路地裏で怪文書を撒き散らしている。
怪文書のジャンルとしてはエッセイになる。と思う。
創作大賞もエッセイ一本勝負。
エッセイ歴<note歴なので、いささか舐めプなのではと思わないこともない。
そう、ここから先が「気恥ずかしくて、具体的には記事にはしてこなかった」部分にあたる。
わたし、エッセイストになりたい。
ああ、公衆の面前で言ってしまった。
でも、今、本気でそう思っている。
本を出したい。商業ベースに乗った紙の本。
地元・北海道資本の大型書店で、「道内在住作家」的なコーナーを作ってもらいたい。
わたしの本を手に取ってレジに向かう人をガン見して不審者扱いされたい。
わたしはきっと、叶えられる。そんな気がする。
noteの大海原に無様に着水したのは、今年の3月中旬のこと。
それまで、エッセイなんて書いたことなかった。
何かは書きたい。でも何を書いてよいかわからない。
わからないから、とりあえず耳障りのいい言葉を紡ぐ。
つまんないわけじゃないけど、自分じゃない。呼吸が浅い。
そうして緩やかに溺死しそうになっている時に、路地裏に流れ着いてコニシ木の子氏に拾われた。
なんやかんやあって、わたしは気がついたらエッセイを書くようになっていた。
この辺の機微は正直、わたしにもよくわからない、と言っておく。
路地裏にたどり着いて1ヶ月あまりで「思考を垂れ流した独り言」から、明確に作品として出せる「エッセイ」になっていたことは事実である。
路地裏で楽しく遊んでいるうちに、路地裏特有の何かしらの成分によって脳内の日本語を書き綴る部分が改造されたんだと思う。
そのエッセイに対して、わたしは手応えを感じている。
創作大賞以前に書いたものから、「あら? あら? わたしエッセイ向いているのでは?」という予感はあった。
死にそうになりながら書いた創作大賞応募作で、その予感は確信に変わった。
創作大賞応募後初めて「エッセイ」と認識しながら書いた文章で、その確信は揺るぎないものとなった。
何度でも言う。
わたし、エッセイストになりたい。
わたしは紙の本を出せる側の人間だと思う。
だから、絶対にエッセイを書くことはやめない。
もっともっとたくさんの人に読んでもらえる人間になって、名前が知られるようになりたい。
昭和に向田邦子が輝いていたように。平成にさくらももこが君臨したように。
令和はめぐみティコだよね、と50年後くらいに言われていたい。
そんで、noteの路地裏出身作家として有名になって、書くことに真剣に向き合わせてくれたコニシさんに恩返しがしたい。
今のままじゃ、何も返せない。
わたしには書くことしかできない。書くことでしか返せない。
表に出せない感情を精一杯書いた。路地裏のコンセプトにぴったりじゃん!
前は「創作大賞が欲しいとかじゃない。自分のために書く」と言っていたけど、前言撤回。
とります。創作大賞。
本気でやりたいので、文章のダサいところ、流れの悪いところを今もちょっとずつ直している。
「推したい」と言って下さった方がいる。
「心動かされた」と言って下さった方がいる。
「覚悟に敬意を表したい」と言って下さった方がいる。
「代弁してくれた」と言って下さった方がいる。
「救われた」と言って下さった方がいる。
初めまして、にも関わらず、ご自身の辛いことを打ち明けて下さった方もいる。
自分のために書いた文章だったけど、たくさんの想いを背負わせて頂いた。
わたしはもう可哀想な、慰められるだけの人間じゃない。
本気で取り組まないと、裏切りになる。
ラストスパート、走り抜けるよ!
これが、今のわたしの野望。
なんのはなしですか
って言われそうだけどね。
🩷、コメント、感想、あなたのできる方法でぜひ応援お願い致します。
コニシさんはオールジャンル部門で創作大賞をとると思うので、授賞式でお会いしましょう。
ベストレビュアー賞? 違います、わたしはエッセイ部門でとるんです。
⬆️の感想文。
ねんねんさん、ヘッダー可愛いです。いつもありがとうございます。