No.3 『キプロスへの投錨』
今日はパウロが第1回目の伝道旅行でキプロス島を訪れたところの話をしていきたいと思います。
アンティオキアの教会では預言の賜物をもった者を通して聖霊がバルナバとパウロを伝道に送り出すよう告げられます。そこで一同は断食をもって祈り2人を出発させます。成長段階にあるアンティオキアの教会にとって2人が出発することは痛手だったかもしれません。けれども、アンティオケアの教会では先にギリシャ語を話す人々へ福音が語られて多くの異邦人が救われるということが起こっていました。ギリシャ世界への宣教の重要性の認識があったのではないかと思います。こうしてパウロたちはキプロス島へ向かいます。
キプロス島は地中海貿易の中継地点として非常に重要な地でした。キプロスの語源は「糸杉」だそうです。旧約聖書(エゼキエル27:6、他)には「キティム」として地名が出てきており糸杉は「繁栄」を示すものです。さらにバルナバとマルコと呼ばれていたヨハネの出身地であり土地勘もあったので最初に伝道活動を行う場所として選ばれたのだと思われます。AD115年頃にキプロス島ではローマに対してユダヤ人の反乱が起こっていることが記録されていることからここにはユダヤ人が多く住んでいたようです。興味深いことにキプロス島のラルナカという街にはラザロの教会があります。キリストによって生き返ったあのラザロです。伝承によるとパウロたちがキプロスに来た際にラザロとも会ったと伝えられています。ラザロ教会の地下には初代教会時代の石棺が残っており、そのうちのなかに「キリストの友ラザロ」と刻まれていたそうで遺骨も残っておりラザロ教会はその上に建てられているそうです。
そのキプロス島でパウロたちはシナゴーク(ユダヤ人会堂)に入って教え、それが非常に評判良く受け入れられたとあります。ちょっとエルサレムやアンティオキアでは考えられないことですが、初期のキリスト教はユダヤ教の一派と捉えられることがあったようなので距離があったキプロスでは自然だったのかもしれません。そして島を行き巡ったあとでパフォスという街に入ります。そこで総督だったセルギウス・パウルスに招かれて会うことになるのですが、彼は賢明な人物で神の言葉を聞こうとしたとあります。
■使途言行録13:6~12
島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会った。この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。魔術師エリマ――彼の名前は魔術師という意味である――は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、言った。「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。
キプロス島での宣教は何の問題もなく成功したように書かれていますが、この後でヨハネがエルサレムに帰ってしまうことになります。勿論、単純に考え方の違いで決別した可能性もありますが、パウロのその後を反応を見る限りちょっとした確執を生む何かがあったのだと考えてみました。
【まとめ】
この箇所、まずパウロたちはバルイエスという偽預言者に会ったとあり、その偽預言者は総督との親交があったと記されており恐らくその伝手もあって総督に会ったのではないかと思われます。この部分、わかりにくいですがバルイエスという偽預言者と後で出てくる魔術師エリマが同一人物という捉え方がありますが、別な人間のように思います。「バル」は「〜の子」なので「イエスの子」となりますが、これがキリストイエスを示すものだったかヘブル語の「ヨシュア」を示すものだったかはわかりません。「キリストイエス」を示すものだったとするとかなり情報通の詐欺師だと思います。それから賢明な総督と親交があったくらいなのでかなり頭の切れる人物だったのではないかと推測します。ですから、魔術師も偽預言者に担がれて連れてこられていたのではなかったかと思います。偽預言者の思惑はわかりませんが彼がパウロたちをここで罠にかけた可能性もあるのではないかと思います。
魔術師は信仰に向かおうとする総督の邪魔をしようとしたというところから悪霊による魔術を行う者だったのだと思われます。パウロの対応から魔術師は霊的な力を何らか持っていて偽預言者が対決を仕組んだのかもしれません。結果、パウロはそこで毅然と対応して魔術師の目を見えなくしてしまい、驚いた総督はキリストを信じるようになりました。
ここの部分があっさり記されているのですが、パフォスは現在、遺跡の状態で残っており総督の住んでいたと考えられる建物も発掘されていて部屋が100室もあったことがわかっているそうです。総督のセルギウス・パウルスはローマの名門セルギウス家に関係する人物だったと考えられますので、このキプロス島のパフォスが単なる地方都市ではなく経済、軍事の両面で非常に重要な場所だったのです。パウロが島中に福音を伝える中でユダヤ人に捉えられ縛られて39回、鞭うたれたとの伝承があり、パフォスの聖キリキア教会跡にパウロが縛られたとされる柱が残っているそうです。ですから実際は書かれていない苦労がたくさんあったのだと推測します。
シナゴーグでキリストの伝道を行ったというのも簡単に記されていますが普通では考えられません。当時のユダヤ人の目が厳しいことをパウロほど知りつくしていた筈ですから、心臓が強すぎですね。ただ、ここはギリシャ系ユダヤ人などがいるところですから、彼らに合せた形でうまく伝道したのかもしれません。エルサレムにいたバルナバやヨハネにはない発想だったのではないかなと思います。それだけに故郷でパウロに振り回されるバルナバやヨハネは冷や汗ものだったのではと想像してしまいます。総督に会うにしても一歩間違えて機嫌でも損なえばそこで旅が早くも終わっていたかもしれません。土地に明るいバルナバたちの出番はほとんど無く、パウロ主導の無茶なやり方にヨハネは我慢ならなかったのではないでしょうか。
■フィリピ3:10~11
わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。
これはパウロ独特の信仰を告白した言葉です。自ら苦難を被ってキリストの力を知りたいと言っているのです。一緒に旅をする方はたまったものではないですね。
総督のセルギウス・パウルスについて調べましたが実在したという以外で情報は見つかりませんでした。しかし、有力な人物であったことは想像できます。もしかしたらローマの上流階層へキリスト教が伝わっていくのに影響したかもしれません。ローマがキリスト教を国教とするに至る糸口になったとしたら面白いです。また、後年、キリスト教が迫害された時、多くのギリシャ系のクリスチャンがトルコ中央部に逃れていきます。カッパドキアに行った際にこの話を聞いたのですが、何故、トルコ内陸のカッパドキアに逃げてきたのかちょっと不思議に思いました。恐らくキプロス島が重要な役割を果たしたのではないかと私は思います。
パウロの理解者はほとんどいなかったかもしれませんが、神の道をまっすぐ歩んでいたことは歴史が証明しています。