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そんなこともあったな。

先日、佐々木丸美ファンクラブのアカウントをnoteで見つけて、その話をちらっと書いたわけですが、その流れで映画の方の「雪の断章」、そしてその監督の相米慎二監督の話なんかのネット記事を見ていたのですが…。この9月9日は、相米監督の没後20年だったのですね。作品の上映やイベントなどもあったようで。昔の映画を検索していたのに、ずいぶん前にお亡くなりになっていた監督についての最近の記事が次々にヒットして、??となりましたが、納得です。

というか、「雪の断章」と「セーラー服と機関銃」の監督が同じということすら、今になって知ったという…。

まあ、どちらもいろいろ想いはあります。「雪の断章」は母校の高校にもロケが来まして、斉藤由貴さんは見られなかったのですが、学校では一時話題になりました。

「セーラー服と機関銃」は、もっと前ですよね?まだ中学生だったと思うので。思い出して、なんというか「ばかだったなー」と。すがすがしいくらいばかだったな。

当時「薬師丸ひろ子ごっこ」というのがあって、休み時間に黒のペンで目の下にほくろを描いて(鏡を見てではなく、互いに描きあう)、一日その顔で過ごすという遊び。ほんとにそれだけの遊びです。

思い出しても、ははは、という乾いた笑いしか出てこない(笑)。平和だったんだなあ、私たちの生活。(ほんとうは、その中学校は荒れ果てていて、当時でいう「つっぱり」がたくさん。階段にはたばこの吸い殻の吹き溜まり。同級生がラブホテルで殺害されたこともあった。荒れ果てた中で、そんな平和な時間を過ごしたこともあったんだ…という感傷にひたった金曜日の夜です。)



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