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平等とは何か2


連帯責任


最近、連帯責任という言葉をよく聞く。
杉野茉子まこは先生たちの話を右から左へと受け流していた。
昼休み。
麗らかな春の暖かな日差しとは違い、廊下には冷え冷えとした空気が流れていた。
空気が張り詰めている。
悪いことなんて何もしていない。
でも、『連帯責任』だから、みんなで一斉に罰を受ける。
誰もが平等に。
平等はいい言葉だけれど、時にはワルイ言葉になる。
一つの葉っぱが雨で落ちると、全ての葉がバラバラと落ちるのだ。

トイレにコッペパンを捨てたのは誰なのか。
もう何回も、似たような議題が話し合われていた。
始まりは4年生の時。
先生総出で叱り、悲しんでいた。
そんなことをするなんて、追い詰められているに違いない。
先生たちはそう言った。茉子にはよくわからない。
連帯責任も、そんなことをする子の気持ちも。
大おかずが洗面台に詰まっていた。
牛乳が撒き散らされていた。
お茶らしきものが撒き散らされていた。
何回も、何回も、呼び出された。
誰だか、犯人がわからないから、と先生は言う。
誰かわからないけど、やった人に伝えたいから、と先生は言う。
だからって、休み時間を潰す必要はあるのか?
全員を集める必要があるのか?
4年生の終わり。
また、それがあった時、先生たちは呆れていた。
「ねぇ、もうやめようよ、こんなこと。休み時間奪われたくないでしょう?」
それはこっちのセリフだよ、と心の中で毒付く。
もう、気が滅入っていた。


そして、5年生の今。
男子トイレで、コッペパンが見つかった。
本当に、ヤダ。ダルい。
でも、そんな愚痴は誰も聞いてくれなくて、あるのは失笑と、軽蔑。
君たち、来年で最高学年なのに、それでいいの?
と、笑った多数の目が問いかけてくる。
知らない。私、やってないもん。
平等なんて、なければいいのに。
給食だって、誰だって、嫌いなものが出たら凹む。
でも、何回もやらなくたっていいじゃないか。
何回も捨てなくなっていいじゃないか。
何回も、連帯責任にするなよ。
去年から担任を務める先生が呆れ顔で言った。
「やる気ないの?先生たち、悲しいです。一年たっても治らないなんて」
右から左に流していた言葉が、止まった。
「・・・え、なんて・・・」
先生の言葉が、耳に引っかかった。
「トイレの使用を、給食配膳前の、12時30分から13時00分まで、禁止します」
「「「えーーーーっ」」」
先生が強い口調で繰り返した。
ついていかなかったリアクションが、一斉に漏れる。
「もちろん、生理現象なので、行くこと自体は構いませんが、行く時は各担任に確認を取るように」
もちろん、ってなんだよ。もちろんって。
わかってるなら、やめてくれ。
大層なお説教は終了し、それぞれがクラスにトボトボと戻る。
もう、休み時間は残っていなかった。
茉子は一人毒付く。
周りの子達は、もうしゃべる気力も残っていないようだ。
無理も無い。もう6回目なのだから。


あぁ、もう嫌だ。
なんで、私たちが罰を受けないといけない?
やったのは、あいつなのに・・・
平等なんて、なくなればいい


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