哲学ホラゲ「SOMA」実況観た
感想(自分用)です。 視聴した動画↓
SOMA RTA - エイポッズさん
https://youtube.com/playlist?list=PLWzuI0YrXI1fDfqfMvwzenET3ekEcXABJ&si=LPlbdlAVz7dhLRsx
交通事故で脳に損傷を負ったサイモン(主人公)が、治療法の研究に協力するため脳スキャンを受ける。スキャン開始後すぐ視界にノイズが出始め、ぷつりと暗転したのち目を覚ますとそこは全く見慣れない部屋だった。人間の死体や未知の肉塊、そしてロボット。「自分は人間だ!」とアームを振り回しながら訴えてくる機械もいた。ここは何なのか、自分はなぜここにいるのか、少しでも情報を得るためにサイモンは探索を始める──。
みたいな感じのホラゲ。
エンディングを踏まえての感想
ストーリー内容は書きません。感想だけ。ネタバレは自動的に含まれます。
ハッピーエンド or バッドエンド
自分がサイモンなら、この終わり方はハッピーエンドだ。
どのサイモンだったとしても。
なぜなら、3人のサイモン全員をほぼ同一人物とみなしているからだ。
厳密に言うと、私はどのサイモンの存在も受容するが、今「自分」だと認識しているサイモンが生きやすくなるような捉え方をする。
私がARKにコピーされなかった方のサイモンだったとしたら、無事打ち上げられたであろうサイモンが穏やかな現実で暮らしていることを信じ、それを自分の幸福とするだろう。ゲーム内のサイモンのように声を荒げることも、キャサリンを罵倒することもない。
ただ精神的なダメージを負うことは間違いない。死だけが待つ未来に泣き、自ら化け物に食われにいくかもしれない。この絶望を誤魔化し、少しでも希望を見い出すために私は上記のような考え方をするのだと思う。
つまり、自分のために自分を利用する。
現実世界の自分なら
例えば、というか丁度いまの私は体調を崩し、社不(社会不適合者)(書くなら略すな)の自覚がたいへん強くなっている。
「別世界・別ルートでもっと幸せに暮らしている私が存在しているだろう」と自分に言い聞かせることで、この文章を書いている「私」の気を少し楽にすることができるのだ。実際にこの考え方を持って生きるのは結構アリだと感じた。どれだけ今経験している自分の状態が悪くても、傷一つない「私」の存在を信じることができるから。信仰に近いかもしれない。
自分は今ここで生きている私自身だけでなく、所謂パラレルワールドで生きている私の存在も「私」だと認識しているのだ。
だから、そのうち一人が幸福であれば、私はきっと幸福でいることができる。運のいいことに、今の私は他の私の状態を知ることができない。都合のいい私の存在を信じられるのだ。
注意点
ただ、この考え方の欠点というか、注意すべき点がいくつかある。
いつまでもこの思考に浸り「私は幸せだ!」とほざき続けるべきではない。
そんなことをしていても、結局この世界を生きる自分は何も変わらない。
① 自分の状態が危ないと感じた時に使うこと。
② ざわつきが無く、将来について考えられる精神状態では使わないこと。
自分用だしこれ書いとけば分かるだろうと思うので終わり。