【幼少期③】なにかになりきるのが好きだった【HSPエピ?】
家族ごっこでおかあさん役を怪演した
ひとつ、幼少期で鮮明に覚えていることがある。
過ごしやすい、ある晴れた日のこと。
幼稚園の年中組さんのときに、園庭でやった「家族ごっこ」の場面だ。
おともだちと配役を決め、私はおかあさん役になった。
うーん、いま思えば配役が不服だった可能性もある気がしてきた。
そう、わたしはよく分からない行動に出たのだ。
・・・何かというと、私はほかの役の子たちがきゃいきゃい楽しんでいるそばで、一人なりふり構わず「陣痛にもだえ苦しむおかあさん」を怪演していた。
もちろん、その演技は他の子に一切触れられることはなかったのが余計に恥ずかしいポイント。
見えないところで勝手にやり始めていたし(なんで?)、勝手に「おかあさんは妊娠している」というストーリーを作り出して演じていたのだ(やることなかったんか??)。
ちょっと絵↑が独特だったかもと思うが致し方なし。
当時のわたしが放っていた異様なオーラを感じ取ってほしくて、何度も何度もあのウネウネ~を書いた。この怖さをどうにか感じ取ってほしい。
・・・わたしの雑な文章力と画力ゆえに当時の状況をあまりお伝えできていないと思うが、わたしはいまでもこのときの記憶を勝手に思い出しては引いている。当時の自分が異様だったと思うがゆえに、一人で怪演している場面がフラッシュバックすることがあるのだ。
幼稚園の頃のほんの些細な記憶なのに、いわゆる自分の「黒歴史」というやつにしっかりフォルダ分けされてしまった。
他の役の子と掛け合いをしながら、“ライトに”家族ごっこを楽しめばよかったのに。
一人で完全にスイッチが入っちゃったのだ。
このエピソードでふと思ったこと
なぜこのエピソードを書き残したのかというと、わたしの人生において何かに「なりきる」場面が多かったから。
わたしは「自分なりになりきって表現する」もしくは「表現に入り込む」傾向にある。もしかしたらそういうのが好きなのかもしれないとも思う。
そして何より(羞恥心という名の壁が他人より薄いという意味で)そういう“なりきる”のが得意なのかもしれない。
この後にやり始める楽器の演奏だってそうだ。
特に高校生のときなんかは、めちゃめちゃ演奏が上手い人(架空)になりきって演奏することが多かった。
そして対人関係や授業の発表とかでも、そう。
お手本になりそうと思った人になりきるときがある。特に不安なことは余計に「なりきって」乗り越えるくせがあるかもしれない。
言い換えるのならば、「素の自分らしさ」には自信がなくて、外に出すのは苦手なのかも。
このエピソードでふと思ったこと②
あとわたしは、何でもかんでも“本格的に”やりたくなってしまう。
たとえば今回だと、表面的なよくあるおかあさん役をこなすのではなく、心の底からおかあさんを演じることに浸っていた。
職人気質?とでも言うのだろうか。
わかりやすいところで言えば学校で出された宿題も完璧にやりたくなっちゃうし、とにかく物事のゴールをプロレベルにしたいと思ってしまうのだ。
そして、それが自分を苦しめることがある。
さいごに。気づいたこと
もし、わたしのように過去の黒歴史にとらわれちゃうようなことが続くのであれば、自分で面白がっちゃうのが良いかもしれない。
「誰かのためになればいいな」なんていって、エピソードを公開してみるのもいい昇華になるはず。
あと、今回のエピソードに似たようなわたしの「黒歴史」はいっぱい存在する。
いまは幼少期編だけど、のちのち小学生編→中学生編と(・・・最終的には社会人編まで)エピソードを書いていく予定なので、よかったらそちらも読んでみてほしい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
また更新したいと思います。