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愛こそすべて。

どんな人にもその人だけの「才能」があるのだと思いますが、最近の傾向として「だからってその才能を100%開花させなくちゃいけないんですか?」という疑問を持つ方も一定数いらっしゃる現実を目の当たりにすることが増えてきて。

世界に1つだけの花
ひとりひとり違う種を持つ
その花を咲かせるためだけに
一生懸命になればいい 
『世界に一つだけの花』by SMAP

…の唄に感動していた世代の私としては、ちょっと最初は「え?どういうこと? あなただけの花が咲いたところ見たくないの?」と思って動揺したこともありましたが、スマホやPCを使い、各種SNSで色んな自己表現が手軽にできるようになって、たくさんの人がそれなりに自分の「世界に一つだけの花」を手軽に咲かせることができるようになって。

たくさんのプレイヤーが増えることで他人との比較も「井の中の蛙」になりたくてもなれないほどに“比べる”ことが良くも悪くもできるようになって。その結果、自己顕示欲を拗れさせることも誰でも簡単にできるようになった今。

なるほどね。イヤかもね。

…わりとそう思えるようになってきました。

だって、自分の中では大輪の牡丹の花が咲いた!と思ってるのに、誇らしげな気持ちでSNSにあげて他と比べたら「あれ?あれれ?」ってなる可能性があるのは、すべての人が受け入れられるようなことではないはずなので。

「だからってその才能を100%開花させなくちゃいけないんですか?」という問いも理解できるようになりました。そうか、そうなるか。なるかも。…みたいな。

でも、これにはカラクリがあって。
大正解ってわけではないことも事実。

だって、それは不特定多数の人に向けての主義主張であって、よくよく話を伺うと特定の人には「自分の晴れ姿」や「自分史上、最高の自分」は見て欲しいと思ってることがほとんどなので。

で。

ここでポイントになるのが「特定の人(もの)」。「限定」。「あなたならOK」。むしろ「あなたには見て欲しい」。…そんな特別なターゲット=「特定の人(もの)」。

そのターゲットは、人それぞれ違うのでとてもプライベートなことだけど、でも共通していることが1つあって。

それは『(ターゲットに向ける)愛』なんですよね。

恋愛、友愛、親子愛、師弟愛、ペット愛、2次元愛、プロダクト愛etc、etc……

『愛』にはさまざまな形があるから、柔軟にその人にフィットする対象に注ぐことができる。こんなに臨機応変に形を変えても万人に共通するものって他にないのではないかな、と。

だから『愛』って最強なんだと思います。
最強最高の共通言語になりうるもの。
それは種を超え、次元も超えるチカラ。

毎朝引くカードで先日のテーマは「愛」。そのメッセージには「愛はさまざまな形で訪れる。私たちの態度やエネルギーが適切であれば、望むものを魅了できる」とありました。

最強最高の“共通言語”の使い方が適切ならば、その“共通言語=愛”は届くんだろうな。

そのためには
自分の『愛』をリスペクトするように
相手の『愛』をリスペクトすることも大切。

マウントなんかとってる場合じゃないことも『愛』は教えてくれるという。

やっぱり、小難しいことを考えるより。
自分が大好きな、愛を注げるものを増やしていくことが、この世界における1番の学びなのかもしれないと思ったりしています。

だから。
あなたの『世界に1つだけの花』を万人に見せなくたって“も”いい。でも「見せない」ことと「咲かせない」ことはイコールではなくて。みんなに見せなくても、その花がどこかで大切な人のために咲くことで、この世界は美しく豊かになるんだと思います。よ。

そして、万人に見せてくれようとしている人たちの、その向上心と勇気、そして美意識と懐の大きさに心から感謝していければ、この世界の隅々にまで愛がゆきわたるのかなとも思います。

『愛』、すごい。←語彙なさすぎ笑。

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