マリリン・モンロー
マリリン・モンローは最も有名なハリウッド女優と言っても過言ではないだろう
普段洋画は観ないという人でもマリリン・モンローは知っている
というかマリリン・モンローの出演映画の方を逆に知らないレベル
ハリウッド=マリリン・モンロー
セックスシンボルであり大衆文化のアイコン
そんなマリリン・モンローは36歳という若さで亡くなってしまう…
本件についてstand.fm(音声配信)にてお話ししています↓
マリリン・モンローは幼少期のほとんどを里親と孤児院で過ごしている
当時のアメリカ大統領の政策で里親には援助金が支給された
里親の中には援助金目当てで子供を引き取る家もあったとされ、モンローもいくつもの家をたらい回しにされるなど大事に扱われたとは言えないし、伝えられるところによると性的虐待やネグレクトで支配する養家に連続して送られたそうだ
そして第二次世界大戦中に16歳で結婚、その後夫は海軍へ徴兵
モンローは自活せねばならなくなった
工場で働いた後、モデルとなるが夫はモデル業に理解を示さず離婚
映画出演を経てハリウッドトップスターへ
当時の有名プロ野球選手ジョー・ディマジオと結婚
読売ジャイアンツの招きもありハネムーンを兼ねて日本訪問
帝国ホテル滞在中に米軍基地、施設、病院を慰問
9ヶ月でジョー・ディマジオと離婚
翌年、劇作家のアーサー・ミラーと結婚
2年後、不安定になり精神病院入院
5年後、ミラーと離婚
ケネディ兄弟と不倫
1962年5月19日 ニューヨーク市のマディソン・スクウェア・ガーデンで行われたケネディ大統領45歳の誕生日パーティーにマリリン・モンローはセクシーなドレス姿で赴き
「ハッピーバースデートゥーユー」を歌い、「いつ引退しても悔いはない」とケネディに言わしめた。やはり古今東西、”男”はバカである
ケネディ大統領の妻であるジャクリーン夫人は誕生日パーティーにモンローが来ると知って欠席したそうだ
この年にマリリン・モンローは亡くなる、1年3ヶ月後の翌年11月にケネディ大統領は凶弾に倒れている…